- 発行日 :
- 自治体名 : 栃木県那須町
- 広報紙名 : 広報那須 令和8年1月号
◆那須町の地域文化遺産 vol.9
今回は、常民夕狩開拓と「入植記念碑」を紹介します。
常民夕狩開拓は、昭和16年4月に神奈川県足柄上郡清水村(現山北町)から満洲国珠河県に入植した、大青頂清水開拓団(細谷多仲団長/終戦時144名、帰国者91名)の一部と東京都銀座に事務所を構えていた常民生活科学技術協会(理事長:津和野藩主亀井家の血筋で元社会民衆党代議士・亀井貫一郎)傘下の従業員らによる構成で開始された開拓です。「常民」の名はこの協会に由来するものです。
入植は昭和21年以降に行われ、仙台財務局が管轄していた防風林が多く存在した150町歩の土地に入植し、昭和23年時点では24戸の入植が確認されています。入植当初は那須村立夕狩小学校(現在廃校)の教員住宅を使用し共同炊事による生活を行い、夕狩地区の方々からの食糧援助もありながら開拓に従事しました。
昭和21年〜30年にかけ国営那須地区として実施された開拓・道路整備事業では、常民夕狩は高津地区の区分に分類され開拓が行われるとともに、昭和22年1月には、綱子地区と共同で電気の導入を行いました。
営農では、昭和25年に福島県西郷村の農林省種畜牧場(現独立行政法人家畜改良センター)牧場長兼松満造氏らによる尽力で全戸に乳牛が導入さると、それに留まらず兼松氏は乳牛購入の際に牛の吟味まで世話をしたといいます。昭和47年度の時点での常民夕狩の営農活動状況は、田地10・8ha、畑地51・7ha、樹園地1ha、乳牛181頭という状態を誇り、畜産収入は2,500万円(当時)を越えていました。
現在、常民夕狩婦人ホームの隣には昭和25年に建立された「夕狩入植記念碑」があります。この碑は建設にあたり世話人を山崎金光が務め、謹書は当時の農林省那須開拓建設事業所長塚田幹夫が手掛けています。また、石碑の裏面には当時の常民夕狩開拓に従事した山崎をはじめ20名の名前も刻まれています。建立より75年を経過しましたが、現在も常民夕狩の農業を静かに見守っています。
問合せ:那須歴史探訪館
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