- 発行日 :
- 自治体名 : 栃木県那須町
- 広報紙名 : 広報那須 令和7年4月号
■那須町と近現代の人々 vol.40(最終回)
最終号は、茨城県古河市の出身で、伊王野の郷土史編纂に携わった、浮世絵研究の父・藤懸静也を紹介します。
藤懸は、明治14年2月25日に現在の茨城県古河市に、旧古河藩士・藤懸伝八郎の長男として生まれました。藤懸家は旧古河藩士の家系で、母方の祖父には蘭学者で古河藩家老の鷹見泉石がいます。小学校卒業後、上京し日本画家・川端玉章に師事し絵を学ぶなど、もともと絵画への関心は強くありました。藤懸は東京帝国大学文科大学史学科に進むと浮世絵に出会い、西洋における浮世絵研究では不足していた文学的・演劇的背景を踏まえ浮世絵研究に着手し、浮世絵を歴史的系統に位置づけようとしました。同大卒業後は、岡倉天心が創刊した『國華』編集部員、國學院大學教授、東京帝国大学教授などを歴任し戦後は文化財審議会専門員となるなど浮世絵研究の大家として戦前・戦後ともに文化活動に従事しました。
那須地域との関係は、藤懸静也の妹・ふくが伊王野村長などを歴任した・鮎瀬善太郎(vol.24で紹介)の長男・眞夫に嫁いでいたことから関係が始まります。大正年間、伊王野村では村の名士・鮎瀬淳一郎(vol.7で紹介)の伝記を作ることを計画しており、そこで伝記編さんを委嘱されたのが藤懸でした。藤懸は大正12年7月下旬に伊王野を訪れ、古記録の調査・古老や家族からの聞き取り調査の実施、小山田虎(vol.17で紹介)・松本博から鮎瀬淳一郎に関わる資料収集を行いました。約2年の歳月をかけ大正14年10月、藤懸静也・小山田虎著『鮎瀬梅村翁』が刊行し、鮎瀬淳一郎の伝記が完成しました。同書は現在「国立国会図書館デジタルコレクション」にて無料で閲覧することができます。
藤懸は、戦後も「鮎瀬善太郎胸像」除幕式にも参列するなど、亡くなるまで伊王野を度々訪れました。現在、藤懸と伊王野の関係を知る人は少ないですが、浮世絵をテレビや美術館で見たとき、少し思い出して頂けたらと思います。
問合せ:那須歴史探訪館
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