スポーツ 躍 東海林香那さん

現役最後の挑戦は「最高の舞台」
力の限りピッチを駆け抜ける!

東海林香那(しょうじかな)さん

≪プロフィール≫
市内在住のデフサッカー*プレーヤーで、東京デフリンピック2025女子サッカー代表。ポジションはフォワードで、持ち前の身体能力を活かしたプレーで得点を狙う。東京大会では、女子サッカー初となるメダル獲得を目指す。
*聴覚に障害があるプレーヤー同士で競うサッカー競技

聴覚に障害があるアスリートによる大会の最高峰、デフリンピックの東京大会が11月15日(土)に開幕します。市内在住で唯一、日本代表に選出されている、デフサッカープレーヤーの東海林香那選手にお話を伺いました。「聴覚の障害は先天性のものです。それでも、健聴者の友達とも不自由なく一緒に過ごせるようにと考えた母が、こどもの頃から発声や指文字の練習に付き合ってくれました」
練習の成果もあり、ろう学校に通わず健聴者と同じ学校で過ごした東海林選手。学校生活を送る中でも、運動は人一倍得意だったようです。
「スポーツは何でも上手にできましたね。特に中学から始めたハンドボールでは、全国大会で優勝、日本一になることができました」
高校、大学もハンドボール選手として高いレベルに身を置きました。しかしある時、後のキャリアに大きな影響を与える転機が訪れます。
「幼なじみがデフリンピックの水泳競技で金メダルを取ったんです。世界を相手に戦う友人の姿を見て、私もこの舞台に立ちたいと思うようになりました」
しかし、当時ハンドボールはデフリンピック競技種目に含まれていませんでした。そこで、大学卒業を機に、サッカーへの転向を決意します。
「一からの挑戦だったので技術面はとても苦労しましたが、ハンドボールで培ったスピードとスタミナは、トップレベルでも十分通用しました。空いたスペースに向かって走り勝つようなプレーは、キャリア初期から今に至るまで私のストロングポイントです」
順調にサッカー選手として頭角を現し、2大会連続でデフリンピックに出場。しかし、2013年大会の最後の試合で膝に大怪我を負い、約3年間競技から離れることになります。
「当時は燃え尽き症候群のような状態になってしまっていました。しかし、2015年のデフフットサルワールドカップで、かつて一緒にプレーした選手が活躍している姿を見て『またプレーしたい』という気持ちを取り戻すことができました」
そこから競技へ復帰を果たし、現在はサッカーとフットサル、二足の草鞋(わらじ)で活躍しています。
最後に、デフリンピックに向けた意気込みを聞きました。
「気付けばチームで最年長の立場になりました。今の若手はとても頼りになる選手たちばかりですが、一番年上の私が率先して誰よりも走り回って、チームを鼓舞したいと思います」
さらに、今回のデフリンピックは地元開催であることに加え、もう一つ特別なモチベーションがあると言います。
「この大会を最後に現役から退くことを決めています。だからこそ、とにかく楽しんで、悔いのないよう精一杯プレーしたいです。その結果、女子デフサッカー初のメダルを持ち帰って来られたらいいですね」
迷いのない晴れやかな表情で語ってくれた東海林選手。現役最後の舞台、デフリンピックで力強く走る姿にご注目ください。

本記事における東海林選手のコメントは、ご本人や手話通訳者の方が手話などを使って話した内容を文字に書き起こしています