- 発行日 :
- 自治体名 : 埼玉県坂戸市
- 広報紙名 : 広報さかど 2025年12月号
■阿弥陀堰(あみだせき)
◆伝説とともに語り継がれる堰跡
阿弥陀堰は入西地域の長岡地区に残る堰跡(せきあと)です。越辺川のほとりにひっそりと残るこの古い堰跡には、岩盤を掘削した用水路があり、当時の面影を今に伝えています。
◇阿弥陀堰の由緒にまつわる伝説
昔、天斎(てんさい)という行者が堀込の大塚(広報さかど令和7年7月号掲載の柊塚)に住んでいました。961年に恵信(えしん)という聖人が一夜の宿を借り、その礼として阿弥陀如来の絵を残したところ、988年に天斎の夢に阿弥陀如来が現れ、「光明輝く所を用水路として開けば、末代まで功徳がある」と告げられました。995年、天斎は長岡の地で光輝く場所を見つけて岩盤を切り開き、その後地域の人の努力により1318年に用水路が完成して以降、干ばつに悩まされることはなくなりました。
◇阿弥陀信仰と社会の移り変わり
恵信は、平安時代に活躍した恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)という僧侶であると考えられます。当時の僧侶は仏教を広めるだけでなく、土木技術や医療などにも通じた知識人でした。
また、阿弥陀堰が完成する以前の平安時代では、戦乱や天災、疫病による社会混乱から極楽浄土を願う「阿弥陀信仰」が貴族や武士を中心に広がりました。その後、鎌倉時代には浄土宗などの広がりとともに庶民にも浸透していきます。
◇静かに息づく歴史の証
阿弥陀堰伝説の真偽は定かではありませんが、この伝説は当時の宗教者の活躍や、社会の混乱の中で広がった信仰を今に伝えるものなのかもしれません。
現在では使われなくなった阿弥陀堰は、先人達の思いと共に長岡の地に静かに遺(のこ)されています。
所在地:長岡
問合せ:歴史民俗資料館
【電話】049-284-1052
