- 発行日 :
- 自治体名 : 埼玉県坂戸市
- 広報紙名 : 広報さかど 2026年2月号
■石井宗福寺(そうふくじ)の板石塔婆(いたいしとうば)
◆市内最大の六字名号板碑(ろくじみょうごういたび)
板石塔婆とは、13~16世紀の中世に造立された石製の供養塔で、板碑(いたび)とも呼ばれます。追善供養※1や逆修(ぎゃくしゅ)※2といった目的で造られ、表面には仏を表現する梵字(ぼんじ)(古代インドの文字)が刻まれることが多く、造立者の信仰宗派を反映しています。勝呂地区には、大字石井を中心に「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」の名号が刻まれた板石塔婆が広く分布しています。中でも曹洞宗(そうとうしゅう)宗福寺境内に立つ板石塔婆は、ひときわ大きく目を引くもので、「南無阿弥陀仏」の名号(みょうごう)が彫られ、「六字名号板碑」と呼ばれます。名号の両脇には、寺を開創した僧と伝わる教覚(きょうかく)の三回忌に際して造立されたことが、文和(ぶんな)五年(1356年)の年号とともに刻まれています。
◇武蔵武士「勝(すぐろ)氏」と板石塔婆
宗福寺をはじめ勝呂地区周辺に多く見られる名号板碑は、平安時代末期以降に広まった浄土信仰、特に時宗(じしゅう)系の影響を受けたものと考えられます。これは中世に当地を領有した在地領主・勝(須黒)氏との関係を示唆しています。勝氏は武士団である武蔵七党のうちの村山(むらやま)党に属する武士の一族で、その名は鎌倉幕府の歴史書である『吾妻鏡(あずまかがみ)』にも記されています。宗福寺周辺を本拠に館(やかた)を構え、勢力を広げたとされ、周辺にはその痕跡が残されています。
勝氏をはじめ中世の武士は仏教に深く帰きえ依し、一族の繁栄や往生(おうじょう)を願いました。その祈りの表れとして板石塔婆が造られ、現代まで伝えられています。現地を訪れ、当時の人々の祈りに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
※1:生きている人が故人のために善行を積み、その功徳(徳)を故人に回し向けることで冥福(めいふく)を祈る仏教の行事。
※2:生きているうちに、自分のための仏事をして冥福を祈ること。
所在地:石井1905
問合せ:歴史民俗資料館
【電話】049-284-1052
