- 発行日 :
- 自治体名 : 埼玉県三芳町
- 広報紙名 : 広報みよし 令和7年11月号
■れきしとくらし 第四十三回 浅間後(せんげんあと)遺跡
浅間後遺跡は、藤久保地区でも富士見市境にある小字富士塚に広がる遺跡です。このあたりは通称権平川(ごんべがわ)と呼ばれる小河川の流れによる谷状の地形となっており、浅間後遺跡はこの谷の谷頭に位置しています。遺跡名の「浅間後」とはこの遺跡に近接して今も鎮座する「浅間神社」に由来する地名から取られた名称です。かつて、この浅間神社は15mもの高塚に祀られ、塚の麓からは権平川の水源となる湧水も流れ出ていたといわれています。この浅間神社や浅間後遺跡の周辺は、早くから住宅開発が進んだため、高塚は失われ、昔の面影もなくなってしまいました。
浅間後遺跡は、試掘確認調査を含めるとこれまでに10回調査されており、旧石器時代・縄文時代・平安時代の複合遺跡として捉えられます。
旧石器時代の遺構は、平成3年の発掘調査で、約2万年前の石器集中(石器づくりの跡)2か所、礫群2か所、炭化物の集中1か所が確認されています。石器集中は3m~4mの範囲に集中し、いずれも石器の点数は20点ほど出土しました。出土した石器のうちツール(道具)として確認できたのはスクレイパー(掻器・削器)のみで、そのほかの種類は確認されていません。おそらく、狩猟で得た獲物を解体して、礫群で石焼バーベキューのような調理をした後、まだ使用する他の狩猟具を携えて、次の狩場へと移動していったのでしょう。
縄文時代・平安時代の遺物は、昭和55年に行われた発掘調査にて、縄文土器の土器片、平安時代の須恵器坏が出土していますが、遺構は確認されませんでした。これまでの調査範囲が限られているため、今後の調査により詳細が解明されるときが来るかもしれません。
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