- 発行日 :
- 自治体名 : 埼玉県毛呂山町
- 広報紙名 : 広報もろやま 令和7年5月号 No.1016
■90周年を迎える「鎌北湖」
四季折々の美しい自然が、訪れる人びとの心を和ませる鎌北湖。へらぶな釣りも楽しめ、奥武蔵自然歩道の入口にもなっているため、年間を通じて多くの釣り客やハイカーが訪れています。
鎌北湖は農業用の貯水池として造成された人造湖で、正式名称は「山根貯水池」といいます。昭和初期、山根・毛呂・川角村と大家・入西村(現在の坂戸市内)にわたる水田は、土地の栄養分は比較的豊富でしたが、常に用水が不足し、干害(かんがい)に悩まされ、思ったような収穫ができませんでした。
そこで、関係村長有志が埼玉県へ救済を嘆願したところ、水源である大谷木川をせき止め、一大溜池を造成し、農業用水を改良する計画が立てられたのです。これが実現すれば、将来永遠に水飢饉(みずききん)から救われ、用水争奪の紛争を根絶するとまで言われました。工事は、昭和4年から始まり、今からちょうど90年前の昭和10年(1935)に完成しました。鎌北湖のような大規模な溜池は、埼玉県で初めての試みだったため工事は難航したようです。工事には延べ11万3761人が携わり、不況にあえぐ農村の雇用対策にもなりました。
山根貯水池はその後、昭和27年(1952)頃に「鎌北湖」と命名されました。鎌北湖の入口には、白樺派の文豪武者小路実篤(むしゃこうじさねあつ)が書いた「鎌北湖」の銘板(めいばん)が設置されています。昭和14年(1939)、武者小路実篤は大字葛貫に「新しき村」を開村してより毛呂山町とは縁が深く、町の人たちから頼まれて、さまざまな作品を提供していました。この銘板もその一つだったのでしょう。
昭和30年代になるとハイキングがブームになり、鎌北湖も観光地として注目を集めるようになりました。鎌北湖の斜面にバンガローを建て、キャンプ地とし、東武鉄道が主体となって観光客を呼んだ時期もありました。東武鉄道は池袋駅から東毛呂駅まで、直通電車「特急かまきた号」を昭和34年(1959)から日曜と祝日のみ運行し、東京から短時間で行ける観光地として売り込んでいたのです。
毛呂山町も「湖水祭り」と称し、昭和51年(1976)7月に花火大会を開催しています。湖上でのしかけ花火なども盛大に行い、多くの人でにぎわったことを憶えている人も多いのではないでしょうか。90周年の節目を迎えた鎌北湖をぜひ訪れてみてください。