文化 お茶の間博物館 425

■シリーズ 東京湾要塞と館山
(4)館山海軍航空隊を支えた地元商店
東京湾要塞地帯内には、陸軍の砲台だけでなく海軍の施設も設置されました。
昭和5年(1930)には、関東大震災で隆起した海岸部を埋め立て、現在の海上自衛隊館山航空基地の場所に館山海軍航空隊が開隊されました。また、太平洋戦争が始まった昭和16年には市内佐野に館山海軍砲術学校、同18年には笠名・大賀に洲ノ埼海軍航空隊が設置されました。
これらの施設で働く軍人たちの食品や生活必需品は、地元の商店などが納めていました。昭和12年には、館山北条町在住者のうち館山海軍航空隊及び同隊下士官兵集会所の出入り商人の組織として、「誠納会」が発足されました。館山北条町は館山町と北条町が昭和8年に合併して成立した町で、昭和14年の館山市成立まで存在しました。
写真の資料は誠納会の規約と会員名簿です。規約によれば、会の目的は会員相互の親睦や営業の向上発展で、館山海軍航空隊へ「犠牲的誠意」をもって業務に努めることが記されています。また同会の会員であれば「館山海軍航空隊御用」の看板を掲げることができました。会員名簿には56名の業種や屋号も記載されています。最も多い業種は食品関係で、米穀商・魚商・酒商・菓子商が複数名あり、他にパン製造・牛乳商・そば屋・寿司屋なども見られます。また雑貨類を扱う商人も多くいて、商品は洋服・靴・自転車・薬・薪炭・書籍・文房具・時計・眼鏡・蓄音機・ラジオなどさまざまです。その他の業種には、浴場(銭湯)や運送業・写真師・ホテル・印刷業・洗濯業などが確認でき、ありとあらゆる業種が出入り商人として名を連ねていました。
誠納会会員の業種から、館山海軍航空隊の生活が垣間見えるとともに、地元の商店によって支えられていたことが分かります。
軍事施設の設置は、さまざまな規制や立ち退きの強制など人々の生活に大きな影響を与えた一方、軍関係者の居住による消費需要の拡大ももたらしました。

※写真は本紙をご覧ください。

■博物館の休館
・日本館・館山城
12/1(月)、8(月)、15(月)、22(月)
※年末年始の営業は本紙12ページ
・渚の博物館
12/29(月)~R8/1/1(木・祝)