- 発行日 :
- 自治体名 : 千葉県白井市
- 広報紙名 : 広報しろい 令和7年10月1日号
■富士の巻狩り
建久4年(1193)、富士山西南の駿河国の富士野(静岡県富士宮市周辺)で鎌倉幕府初代征夷大将軍の源頼朝が巻狩りを行いました。巻狩りは、獣を大人数で四方から取り巻いて追い込み狩るものです。頼朝は1か月に渡り駿河国に滞在し、巻狩りには数万人規模の御家人が参加したと考えられています。
江戸時代に小金原で行われた御鹿狩に関連する文化財は市内にもありますが、この御鹿狩は富士の巻狩りの故事に倣(なら)ったとも言われています。
御鹿狩は当時、江戸の人々の耳目を集め、浮世絵の主題にもなりました。浮世絵では時事は描けなかったため、御鹿狩の情景を富士の巻狩りとして描くのが通例で、歌川国貞や歌川国芳、歌川貞秀が巻狩りの浮世絵を描いています。
富士の巻狩りを象徴する逸話の一つに仁田(にった)忠常の猪退治があります。仁田忠常(新田四郎忠経)は源頼朝挙兵以来の武将で、頼朝からの信頼が厚かったことで知られます。富士の巻狩りの際は源頼朝へ突進してきた大猪に前後逆に飛び乗り、刀で仕留めたと伝わります。この逸話は浮世絵でも好んで描かれました。
清戸地区の宗像神社本殿背面の羽目板には、仁田忠常の猪退治が彫刻されています。彫刻では富士山を背景に源頼朝の前で猪に飛び乗る仁田忠常の姿が見えます。市内の江戸時代後末期の神社本殿は多くの彫刻で飾られますが、このような牧に関連するものを主題とする彫刻があるのは、清戸地区の宗像神社だけです。
富士の巻狩りで有名な逸話に曾我兄弟の仇討ちがあります。安元2年(1176)伊東祐親の長子、河津祐泰は、伊東荘を巡る争いの中で親族の工藤祐経に射殺されました。その仇討ちとして河津祐泰の子である曾我兄弟が富士の巻狩りの際に工藤祐経を夜討したもので、赤穂浪士の討ち入り、鍵屋の辻の決闘と共に日本三大仇討ちとされています。
江戸時代、長殿村(復地区)では伊藤家が名主を務め、当主は隼人を名乗りました。伊藤家は伊東祐親の子孫で、室町時代頃に長殿に土着したという伝承を、明治期の当主、伊藤為三郎が記しています。
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