くらし 水不足克服への挑戦・安定供給の実現

県には、主に県が管理する相模ダム・城山ダム・三保ダムと、国が管理する宮ケ瀬ダムがあり、これら四つのダムは「かながわの水がめ」として大きな役割を果たし、今も県民の生活と産業の発展を支えています。
神奈川の水源開発はふるさとを離れることになった地域の人々の理解と協力のもと、高度経済成長などによる人口の急増や産業の集積による水需要の増大を背景として、大きな水不足(渇水)を経験しながら行われてきました。
こうした「かながわの水がめ」の歴史を当時の写真と共に紹介します。
※詳しくは本紙をご覧ください。

■神奈川県の人口と水源開発
※人口は表示単位未満切り捨て
※貯水量は総貯水容量

○昭和5年(1930年)
161万人

○昭和22年(1947年)
221万人
〔相模湖〕相模ダム完成
貯水量:6,320万m3

○昭和40年(1965年)
443万人
〔津久井湖〕城山ダム完成
貯水量:6,230万m3

○昭和42年(1967年)
渇水

○昭和54年(1979年)
683万人
〔丹沢湖〕三保ダム完成
貯水量:6,490万m3

○平成8年(1996年)
渇水

○平成13年(2001年)
856万人
〔宮ケ瀬湖〕宮ケ瀬ダム完成
貯水量:1億9,300万m3

平成8年を最後に県内で大きな渇水は起きていません!

○令和7年(2025年)
921万人

◆高度経済成長を支えた「城山ダム」
昭和30年代後半の高度経済成長期には、県内の水需要が著しく増加しました。こうした状況に対処するため、県、横浜市、川崎市および横須賀市が共同して、相模川総合開発共同事業を計画し、城山ダムが昭和40年に完成しました。

◆大きな渇水を乗り越えて
○昭和42年
昭和40年に城山ダムが完成したものの、昭和42年には少雨による大きな渇水に見舞われました。相模湖・津久井湖の貯水量は満水時の22%に激減し、県営水道や横浜・川崎・横須賀市営水道は20%の給水制限を行いました。その後も降雨に恵まれなかったことで、断続的に断水が発生して給水車が出動したり、プールの使用やガソリンスタンドでの洗車ができないなど、県民生活、産業活動に大きな影響が出ました。

○平成8年
平成8年に県は29年ぶりの渇水に見舞われました。記録的な少雨により、相模湖・津久井湖・丹沢湖の貯水量が大幅に減少したことで、河川からの取水を10%制限し、一部地域で断水が発生するなどの影響が出ました。一時、制限は解除されたものの、空梅雨のため雨が降らず、相模湖・津久井湖・丹沢湖の貯水量が満水時の40%を切ったため、再び10%の取水制限を実施しました。

◆渇水に強い神奈川の三つの理由
POINT1:県内のダムで水道水を自給自足
神奈川県は水道水の約9割を県内を流れる相模川と酒匂川二つの水系から取水し、残り1割の水源も県内にあります。

POINT2:国と県が手を取り合って、「総合運用」
国・県のダムを二つのトンネルでつなぎ、効率よく水をやりとりしています。

POINT3:相模川、酒匂川2水系をつなぐ導水ネットワーク
相模川および酒匂川の下流にある、それぞれの取水堰(しゅすいせき)から浄水場までの間の導水管を途中でつなぐことで2水系間の水を相互に融通できます。

◆宮ケ瀬ダムの歴史
21世紀に向けて県民に水道水を安定的に供給するため、相模川水系中津川において国が宮ケ瀬ダムの水源開発を行い、平成13年3月に完成しました。

○コラム
清川村の一部、宮ケ瀬地区は、かつて1,000人を超える方々が暮らしていました。ダム建設によりふるさとからの移転を余儀なくされた地域の大勢の方々のご理解・ご協力により、渇水に強い神奈川の一翼を担っています。

※グラフの人口は、「令和2年国勢調査 神奈川県人口等基本集計結果」、「神奈川県人口統計調査結果報告 令和6年1月~12月の動向」、「神奈川県の人口と世帯 令和7年9月1日現在」を基に県が作成

上記記事に関する問合せ:
県のダム事業、渇水に強い理由については県利水課【電話】045-210-7235【FAX】045-210-8904
宮ケ瀬ダムについては県土地水資源対策課【電話】045-210-3123【FAX】045-210-8820
昭和42年・平成8年の渇水については県土地水資源対策課【電話】045-285-0049【FAX】045-210-8820