- 発行日 :
- 自治体名 : 神奈川県愛川町
- 広報紙名 : 広報あいかわ 令和7年11月1日号
愛川町の歴史や自然には、知れば知るほど面白いエピソードがたくさんあります。ここでは、記念誌に掲載した「愛川タイムマシンクイズ」の答えと、その背景を分かりやすくご紹介します。
正解した人もそうでない人も、この機会に愛川の魅力を再発見してください。
◆(謎・1)武田軍と北条軍が戦った三増峠の戦いは、どのような特徴を持つ戦いと言われている?
答え:(1)山岳地帯での戦い
解説:三増峠の戦い(1569年)は、山深い峠道で行われた合戦です。武田信玄が北条氏政を迎え撃ち、険しい地形を生かした戦国時代最大の山岳戦となりました。
◆(謎・2)宮ヶ瀬ダムがある場所はかつて神奈川県有数の観光地だったけど、その名前は?
答え:(2)中津渓谷
解説:ダムが完成する前、この一帯は「中津渓谷」と呼ばれる景勝地でした。清流や滝、紅葉が美しく、行楽地として多くの人でにぎわいました。
◆(謎・3)「糸のまち」と呼ばれた愛川町。半原や田代では撚糸業が発展しました。そのころ中津台地に広がっていたのは?
答え:(1)カイコの餌となる桑畑
解説:桑の葉はカイコの大好物で、養蚕を支える大切な資源。撚糸業が盛んだった明治から昭和にかけて、町のあちこちに桑畑が広がっていました。
◆(謎・4)半原から横須賀まで自然流下で水を送っていた「水道みち」。でも途中の「水道坂」は急な登り坂!どうやって水が登っていたの?
答え:(3)「サイフォンの原理」で水が勝手に登っていった
解説:水が高低差によって押し上げられる「サイフォンの原理」を利用することで、水は自ら坂を登っていきました。江戸時代に考えられた仕組みで、先人の知恵と工夫に驚かされます。
◆(謎・5)八菅山にゆかりの深い、修験道の開祖と呼ばれた、このヒトだれ?
答え:(1)役小角
解説:役小角(えんのおづぬ)は飛鳥時代の修験道の祖とされる人物です。八菅山は古くから修験の霊場として知られ、多くの修行者が山に入って祈りを捧げました。
◆(謎・6)小沢の地層で古代貝の化石を発見!どうして海から遠いココにあるの?
答え:(2)約300万年前は海だった
解説:小沢地区の地層は、太古の時代、海だった頃に堆積したものです。そのため、現在でも貝の化石が見つかります。
◆(謎・7)内陸工業団地ができる前、ここはマサカの…
答え:(2)日本陸軍の飛行場
解説:戦時中、現在の内陸工業団地一帯には日本陸軍の相模陸軍飛行場がありました。戦後は開拓農地を経て工業団地として整備されました。
