文化 古文書でタイムスリップ

■「江戸時代わが村の暮らし」(55)
三ヶ村炭焼き取決め「鍛冶(かじ)炭白炭禁止」
〜「歴史とみちの館」所蔵・平田家文書を読む〜
(村歴史文化財調査委員 渡辺伸栄)

平和な江戸時代ですが、時々、冷害や水害などの天災に見舞われ、農作物不作で飢饉(ききん)が発生しています。天保(てんぽう)年間も全国的な大飢饉がありました。小見、上野山、滝原の三ヶ村では、入会(いりあい)山の木で炭を焼き、その収入で作物不作の分を補っていました。
ところが、問題発生。天保十三(一八四二)年、三ヶ村の百姓衆は次のような取決めを結びました(写真の文書※本紙参照)。
「境を越えて木を伐った上に、禁止にしている鍛冶(かじ)炭を隠れて焼いた不埒者(ふらちもの)がいる。犯人捜しを行えば、いろいろ迷惑する人も出てくるだろうから、今回は勘弁(かんべん)することにした。今後は、鍛冶炭はもちろんのこと、白炭も絶対に焼いてはならない。もし、この取決めを破ったら、罰金として銭を三貫文ずつ三ヶ村に差し出してもらう。」
小判一両が銭六貫文くらいですから、大金の罰金です。そこまでして、なぜ鍛冶炭と白炭を禁止するのでしょうか。
ネットで調べてみると、江戸時代の禁止事例はあるようです。しかし、森林保護の為という説明はありますが、具体的な理由は分かりません。
そこで、よくよく文書を読んでみると、「境を越えて木を伐った」ことに、そのヒントがあるように思えます。
山の木は、一度伐採すると再生利用できるまで、雑木でも何年もかかります。だから、毎年、範囲を決めて計画的に順繰りに伐っていくのが普通のやり方でした。この文書の「境」とは、許可した範囲のことで、その中だけで雑木を焼いて一般用の炭にしていたのでしょう。
ところが、鍛冶炭や白炭は、雑木の中でも特に硬い木を使うようです。許可範囲の中だけでは足りなくて、範囲外の硬い木も切ってしまうということが起きるのでしょう。どちらも需要が多く高い値で売れたようですから、乱伐につながってしまいます。
入会山の木は、本来は薪や柴などの燃料用で、村人の日常生活のためのものです。その一部を不作対策で臨時の炭焼き用に許可したのですから、乱伐されては困ります。
それで、鍛冶炭白炭を禁止にしたのではないでしょうか。
村内には、炭焼きに詳しい方がおられることでしょう。ご意見などお寄せいただければありがたいです。
(原文と解説は歴史館に展示、又は、下のQRから)※本紙参照