文化 古文書でタイムスリップ

■「江戸時代わが村の暮らし」(49)
博奕(ばくち)禁止の誓約書
〜「歴史とみちの館」所蔵・平田家文書を読む〜
(村歴史文化財調査委員 渡辺伸栄)

◇博奕は破滅の元
大ヒット曲「朝日のあたる家」を知っていますか。ちょっと古い歌ですが、ギャンブラーを父に持った子の悲しい人生を歌った名曲です。
国、時代を問わずギャンブルは身を亡ぼす元。当然、江戸時代も厳しく禁止されていました。
禁止の方法は、平田家に残された文書を見ると、三通りあったことが分かります。
一つ目は高札(連載第32回で紹介)。幕府からの上意下達の禁令、これを破れば厳罰だと布告します。
二つ目は村定め(連載第28〜30回で紹介)。村民が互いに戒め合う自主法制、村人が決めた村の法律です。
三つ目が今回紹介する文書。小見村の百姓衆が庄屋甲太郎に提出した誓約書です。

◇誓約書の内容
「この秋から各地で博奕が流行っているということで、次の三ヶ条を守るよう言い聞かされました。しっかりと受け止めましたので、誓約書を提出します。
一 村民老若男女全員、博奕や勝負事は、一銭たりとも決してやりません。
一 突然来た不審者を泊めたりしません。急な用事でやむを得ない人の場合も、村役人に届け出て、指示に従います。
一 村内村外、山林野原、鮭漁小屋で博奕をやっている者を見て見ぬふりをした者は、博奕と同罪とみなします。
この三ヶ条を必ず守ります。万一守らない者は罰金一貫文と七日の閉門にします。」
ざっとこんな内容で、寛政四(一七九二)年十二月、庄屋からの言い聞かせを承諾した旨、百姓衆二十四人が連印しています。

◇ギャンブルはほどほどに
文書をよく読むと、どうやら庄屋独自の発意ではなく、代官所の意を受けて、それを伝達したもののようです。
人間の射幸心はなかなか制御の難しいもの。一方的な上意下達だけでも、また自主法制でも、規制は徹底せず、こんなふうに手を変え品を変え再三再四、注意を促し抑制を図ったのでしょう。
現代では公営ギャンブルもあり、ある程度は射幸心を満たす場も用意されていますが、ほどほどに楽しむことが肝要ですね。「朝日のあたる家」の歌のようにならないために。

(原文と解説は歴史館に展示、又は、下の本紙QRから)