文化 【故郷の人物を知ろう】たかおか温故知新(おんこちしん)

■「玉音(ぎょくおん)放送」を死守した 大橋八郎(1885~1968)
八郎は、昭和の官僚・政治家、NTT総裁です。大橋家(鷲塚屋)は現高岡市木町の豪商で町年寄も務めた旧家でした。先祖は能登畠山氏の家臣で、のち前田利長から木町に土地を与えられたといいます。八郎は分家の11代目にあたり、高岡に茶道・藪内(やぶのうち)流を広めた侗斎(どうさい)は曽祖父、県議・漢詩人の弘(二水(にすい))は伯父にあたります。
八郎は高岡中学校(現県立高岡高校)から石川県尋常中学校(現石川県立金沢泉丘高校)、第四高等学校(現金沢大学)を経て、1910年東京帝国大学法学部政治科を卒業し、逓信(ていしん)省(現総務省の一部)に入りました。1931年逓信次官となり、翌年同大臣となった南弘(氷見市出身、高岡市中川の南家養子)を支え、長年の懸案事項であった通信事業特別会計法案の成立に尽力しました。のち内閣法制局長官となりますが、1936年「2・26事件」が起こり事態の処理にあたりました。次いで内閣書記官長を経て、貴族院議員となります。その後、国際電気通信社長、日本放送協会(NHK)会長を務めました。昭和天皇による「玉音放送」録音に立ち合い、録音阻止、レコード奪取をはかる過激派軍部から守り抜きました。
1946年2月、公職追放されますが、1952年設立された日本電信電話公社(現NTT)の経営委員長、のち総裁となり、1965年80歳まで電信電話事業の育成発展に努めました。御馬出町のNTTビルの角に胸像があります。
八郎は「越央子(えつおうし)」と号する俳人でもあります(44歳で高浜虚子(きょし)門下)。句集は『野梅』、『市谷台(いちがやだい)』などがあります。1965年、高岡市名誉市民となります。
(仁ヶ竹主幹)

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