- 発行日 :
- 自治体名 : 富山県氷見市
- 広報紙名 : 広報ひみ 令和8年1月号
■氷見にまつわる馬の話
〜午年に氷見と馬の関係を考える〜
令和8年、午年の一年が始まったということで、今回は馬の話をしたいと思います。
運搬や農耕、乗馬、競馬など、日本人にとっては身近な動物である馬、実は『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に書かれているように、化石で発見される絶滅種は別として、弥生時代以前の日本列島に馬は生息していなかったと考えられます。
現在の在来馬の祖先が、朝鮮半島を経由して大陸からもたらされたのは古墳時代以降、具体的には4世紀末から5世紀ごろとされています。乗馬の風習とともに伝来した馬は、豪族たちの軍事力や権威の象徴となりました。5世紀中ごろから作られるようになった馬型埴輪を見ると、馬具で飾り付けられた様子が再現されています。
氷見では、馬具の一種、杏葉(ぎょうよう)が朝日長山古墳(6世紀前半)の副葬品として出土しています。金銅製のきらびやかな馬具で飾られた馬は、朝日長山古墳の被葬者にとっても権威の象徴であったことがうかがえます。
一方、馬は伝来して間を置かず、農耕用にも用いられるようになりました。馬と同時期に畜力農具である馬鍬(まぐわ)が大陸からもたらされたのです。馬に曳(ひ)かせて水田の代掻(しろか)きを行う馬鍬は、中国長江流域で生まれた農具です。馬自体と同じく4世紀末から5世紀ごろに日本へ伝来し、6世紀には九州から東北にまでその分布を広げました。氷見では、稲積川口遺跡で6世紀後半から7世紀前半ごろの馬鍬が出土しています。全国的な出土例と比べても非常に状態が良く、伝来当初の馬鍬の姿を教えてくれる資料です。
(博物館主査 廣瀬直樹)
稲積川口遺跡出土馬鍬…材質はクリ。台木に多数の歯を付けた基本構造は昭和30年代ごろまで使用された馬鍬と共通する。
朝日長山古墳出土杏葉…鉄地金銅張り剣菱形の杏葉で、富山県指定文化財「朝日長山古墳出土品」のひとつ。杏葉は、馬の胸や尻の帯にぶら下げる装飾品。
問合せ:博物館
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