文化 さかい風土記168 坂井市を通る古代の「道」

■「道」と古墳の関係
人の手で整備された「道」は、縄文時代から存在していました。主に生活道路として使われていた「道」は、人々の行動範囲が広がっていく中で、次第に整備されていきます。
坂井市にも古代から利用されてきた「道」が存在していたと考えられます。そんな「道」が坂井市域に残る古墳と関係があることはご存じでしょうか。今回は、「道」と古墳の関係についてご紹介します。
現在の県道272号金津丸岡線のルートには、古代から陸路がありました。県内最大規模の古墳群である横山古墳群(よこやまこふんぐん)や継体天皇(けいたいてんのう)の皇子の古墳と伝わる椀貸山古墳(わんかしやまこふん)はこのルートの近辺に立地しています。
また、古代では陸路以外にも川を利用した「道」も存在していました。「川の道(水路)」として利用されていたと考えられるのが、坂井平野の北を流れる九頭竜川です。古代の移動方法は、陸路より長距離を短時間で移動することができる水路を頻繁に利用していたと思われます。先ほどの横山古墳群や椀貸山古墳の例と同じく、川の道(水路)の周辺にも古墳が築かれています。現在の永平寺町域から坂井市丸岡町域の境に流れる九頭竜川は、両側を山で挟まれており、その山には古墳が築かれています。坂井市側には北陸最大級の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)を持つ六呂瀬山古墳群(ろくろせやまこふんぐん)と丸岡古墳群(まるおかこふんぐん)、永平寺町側には松岡古墳群(まつおかこふんぐん)が立地しています。いずれも古墳時代に越前を広く治めた王の古墳です。
古墳はクニの内外に王の威光を示す役割を持っていました。そのため、多くの人々が通る「道」から見える場所に、古墳が築かれることが多かったと考えられます。
このように、古代の道と古墳は関係性が深かったと考えられます。皆さんも昔からある道を通る時には、古代の生活や古墳を想像してみてはいかがですか。

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