- 発行日 :
- 自治体名 : 福井県越前町
- 広報紙名 : 広報えちぜん 令和7年5月号
■佐々生窯跡(2)
学H:こんにちは。今回も佐々生窯跡について紹介していきます。
E子:こんにちは!今回もよろしくお願いします。
学H:前回は瓦塔(がとう)について説明をしました。覚えていますか?
E子:確か瓦塔とは、主に木造の五重塔を模倣して作られた瓦製の小塔のことでしたよね。合っていますか?
学H:その通りです。瓦塔は当時の信仰を考えるうえで貴重なものです。
瓦塔も出土した佐々生窯跡ですが、分布調査により、現在三基以上の窯の存在が確認されています。
平成十二年(二〇〇〇)に朝日町が文化財悉皆調査事業の分布調査を行いました。この調査によって、それまで発見されていた溜池周辺の遺物が分散するA~C地点だけでなく、谷奥のD地点で従来紹介されていたものより時期的に新しい須恵器が見つかりました。それまで佐々生窯跡は、丹生窯跡のなかの一支群に数えられ、八世紀中頃を中心とした短期操業の窯跡という認識がされていましたが、この調査により、時期は八世紀中頃だけでなく、その後も操業した可能性があることが判明しました。
E子:分布調査によって操業期間が八世紀中頃以降も続いてた可能性が明かになったことに驚きました。
学H:分布調査ではその他にも近接した一・二号窯が確認されました。二基の窯跡は山道の造成により大幅な削平を受け、窯が横に切られて横断面の露出が確認されました。その際に壁面を削って確認したところ、一号窯の焚口部は窯体の損傷が激しく、山道によって削平されたことで崩壊の危険性が高まっていました。それに比べて二号窯は保存状態が比較的良好でした。そこで、緊急性が高い一号窯の窯体内の保存状態を先に確認し、二号窯は山道部分で切られた部分の調査を行うために平成十四年(二〇〇二)、一五年(二〇〇三)、朝日町教育委員会が国庫補助事業に伴い、遺跡範囲確認の試掘調査を実施しました。この調査の結果、佐々生一号窯→佐々生二号窯という序列が与えられ、八世紀中頃を中心とした操業が明かになりました。
E子:一・二号窯からは八世紀中頃の須恵器が出土していますが、D地点からはいつ頃の須恵器が出土しているのですか?
学H:D地点からは八世紀末に属する須恵器が出土しています。
次回も佐々生窯跡について紹介していきます。
E子:次回もよろしくお願いします。
[引用・参考文献]
・越前町教育委員会『朝日山古墳群・佐々生窯跡・大谷寺遺跡重要遺跡範囲確認調査報告書』二〇〇六年
・越前町教育委員会『越前町織田史(古代・中世編)』二〇〇六年