文化 越前町の指定文化財を訪ねよう137―佐々生窯跡(3)―

E子:こんにちは!
学H:こんにちは。今回は佐々生窯跡一号窯と二号窯について紹介をしていきます。
E子:よろしくお願いします。
学H:佐々生一号窯は、窯体の横断面および窯壁の内側に張り付けられた粘土の存在などから斜面を彫り込み、天井を架構する半地下式の窖窯と考えられ、残存長八・二二メートルを測ります。焚口部や燃焼部構造は掘削を受けているため詳細は不明でしたが、窯体内には舟底状ピット、排水溝といった施設が設けられていることが確認できました。床面は基本的に削り取った地山を利用したと考えられています。そして、床面の色調は焼成部から排煙口に至るまで青灰色を呈していました。また、焼成部の窯壁はスサを混和した粘土を検出し、床面と同じく青灰色を呈しています。操業時期は出土遺物から八世紀中頃と考えられます。
E子:スサとは何ですか?
学H:土壁などの補強や亀裂防止などを防ぐために壁土に混ぜ込む藁屑・糸屑・紙屑のことを意味しています。また、左官材料に混入される繊維材料の総称です。スサを混和した粘土を使用することで、よく焼締まります。
E子:窯壁が簡単に崩れたりしないように工夫していたのですね。
学H:その通りです。
次に佐々生二号窯ですが、一号窯と並列する形でその西側、約三メートル離れた地点に築かれています。発掘調査は山道部分のみ行われました。残存部の全長は約一〇・四メートル、幅約四メートルを測ります。道路で切られた窯体の断面は黄褐色・赤褐色を呈する床面と窯壁を確認しました。これらは岩盤を半円状に掘り下げ、粘土を張り付けていました。焚口・燃焼部の構造がほぼ水平で、外側に向かって広がる焚口部を検出しました。操業時期は出土遺物から八世紀中頃と考えられます。しかし、一号窯と比べて小型化などの新しい傾向が認められるため、八世紀中頃でも後半に近いと考えられます。
E子:小型化などの傾向によって、同じ時期でも後半に近いなどが分かることに驚きました。
学H:そうですね。時間がないので今回はここまでです。次回も佐々生窯跡について説明します。
E子:次回もよろしくお願いします。

[引用・参考文献]
・越前町教育委員会『朝日山古墳群・佐々生窯跡・大谷寺遺跡重要遺跡範囲確認調査報告書』二〇〇六年
・越前町教育委員会『越前町織田史(古代・中世編)』二〇〇六年