- 発行日 :
- 自治体名 : 福井県越前町
- 広報紙名 : 広報えちぜん 令和7年11月号
E子:こんにちは!
学H:こんにちは。今回からは舟場窯跡とは別の窯について紹介していきます。
E子:どんな窯なのですか?
学H:今回紹介する窯は「鎌坂窯跡」です。鎌坂窯跡は鎌坂に所在し、国道四一七号線の北側に位置する八ツ手状に展開する丘陵部に位置しています。鎌坂窯跡は七基以上で構成されており、その詳細は、分布調査によるところが大きく、発掘調査が行われたのは灰原のみです。
E子:分布調査でどうやって窯跡を見つけるのですか?
学H:窯跡は、自然の土砂流出や盗掘のため、遺物が散乱していたり、窯そのものが露出していたりする場合があります。そして、窖窯(あながま)の場合は、天井の落下で生じたくぼみから位置を推定することが可能です。
E子:そのように窯跡は見つかるのですね。
学H:この場所で行われた発掘調査については、平成四年(一九九二)、県教育庁埋蔵文化財調査センターが国道四一七号線道路改良工事に伴い、農道を挟み西側をI区・東側をII区として実施しました。この発掘調査でI区・II区にまたがり土坑群が検出されました。
E子:土坑とは何ですか?
学H:土坑とは、地表面を掘り窪めた一定の容積を有する円形・楕円形・方形などの平面形を呈する穴のことです。埋葬用や貯蔵用、ごみ捨て用などさまざまな性格があり、土坑の形状や出土遺物、堆積土の状況などから判断します。
鎌坂窯跡から検出した土坑群は、遺構内から遺物がほとんど出土しないこと、粘土層まで掘り込まれその層に達すると横に掘り込んでいることから、粘土採掘坑と考えられています。そして、遺構中から融着した坏の破片や生焼けの須恵器が出土していることから、付近に窯があったことが予想されます。実際に付近の分布調査を実施したところ、谷の東側斜面に須恵器が散布しており、いずれも窯に伴うものと考えられます。また、田んぼの造成によって丘陵が削られた斜面から窯体の断面が確認されました。
調査の結果、操業時期は八世紀後半から九世紀初頭に位置付けられます。
E子:土坑の性格を形状や出土遺物などから判断するなんて面白いですね。
学H:興味を持っていただいて大変嬉しいです。さて、次回もまた別の窯跡を紹介します。
E子:どんな窯跡か楽しみです。次回もよろしくお願いします。
[引用・参考文献]
・福井県教育庁埋蔵文化財調査センター『福井県埋蔵文化財調査報告第二三集鎌坂遺跡』一九九三年
・越前町教育委員会『越前町織田史(古代・中世編)』二〇〇六
