- 発行日 :
- 自治体名 : 山梨県南アルプス市
- 広報紙名 : 広報南アルプス 令和7年6月号 No.267
■古長禅寺~夢窓疎石(むそうそせき)が結んだ甲斐・鎌倉・京都~
南アルプス市鮎沢にある臨済宗妙心寺派の瑞雲山古長禅寺(ずいうんざんこちょうぜんじ)。江戸時代後期の地誌『甲斐国志』では鎌倉時代末の正和年間(1312〜1317)に臨済宗の僧、夢窓疎石が開創したと伝えられ(※1)、その境内は山梨県の史跡に指定されています。夢窓疎石は多くの人々から敬われ、歴代の天皇から7度国師号を贈られました。最初の国師号から「夢窓国師」と呼ばれています。古長禅寺には夢窓国師坐像(国重要文化財)が安置され、国師の特徴であるという撫で肩が見事に表現されています。この像は、像内面に書かれた墨書から延文2年(1357)9月、国師の7回忌に際し奈良の仏師行成によって造られたと考えられています(※2)。
夢窓疎石は伊勢国(三重)に生まれ、4歳で甲斐国に移り、9歳の時市川三郷町にあった平塩寺(へいえんじ)で仏教を学び始めました。18歳で奈良の東大寺で僧侶になる儀式を受けた後、鎌倉の東勝寺や建長寺、円覚寺で禅宗を学び、北条氏の招きで浄智寺(じょうちじ)などに住し、瑞泉寺(ずいせんじ)も開きました。さらにその生涯で陸奥(東北)や常陸(茨城)、下野(栃木)、上総(千葉)、美濃(岐阜)、土佐(高知)など全国をめぐり寺を開創もしています。また、後醍醐天皇に請われ京の南禅寺に住し、臨川寺(りんせんじ)を開き西芳寺(さいほうじ)などを再興しました。鎌倉幕府滅亡後、足利尊氏の帰依も受け、後醍醐天皇の冥福を祈るために創建した天龍寺の開山にもなりました。また故郷である甲斐国にもたびたび戻り、古長禅寺の他、浄居寺(じょうごじ)や恵林寺(えりんじ)を開創しています。鎌倉、京都で発展した禅宗文化が国師によって甲斐にもたらされました。
国師は庭づくりを禅の修行でもあると考え、後の時代に作庭家としても名を馳せることになります。史料で作庭が明確に確認できる庭園はありませんが、その作と言われる鎌倉の瑞泉寺庭園は名勝、京都の天龍寺や西芳寺の庭園は史跡・特別名勝に指定され、世界遺産にも登録されています。
『甲斐国志』には、「古長禅寺の客殿の前には、ビャクシンの古木が四本ある。枯山水の庭はすべて夢窓国師が自ら築き、植えたものだと言われている。」と記されていますが、現在の庭園はその様式から江戸時代の作と考えられています。
庭には大小の池が東西に並び、西側の大池には中島が設けられ、その姿は「心」の文字の形を表現したとも言われています。護岸には自然石の石組が、池や中島の曲線に沿って美しく配置されています。西の池には立石が配され、背後の護岸にも立石が使われています。一方、東側の小さな池には北から水が注がれ、隣には洞窟のような石組も見られます。池の南側には築山、西側は竹林が広がり、さまざまな植物が植えられ、4〜6月は鮮やかな新緑の木々に出会うことができます。
四季折々の自然と調和した古長禅寺の庭園。禅のこころが静かに息づいています。
文/写真:文化財課
※1.開創時は長禅寺。戦国時代武田信玄が甲府に長禅寺を開いた後、古長禅寺となる。
※2.像は信仰の対象であり、ひろく公開されているものではありません。2012年4月号「高僧のおもかげ夢窓国師坐像(重要文化財)」を本紙QRコードでご参照ください。