文化 ほくと歴史めぐり

■高福寺の襖に描かれた禅画
小淵沢町高野にある高福寺は、享禄(きょうろく)2(1529)年に武田家の家臣馬場外記(ばばげき)を開基として、真言宗沙門玄張(しゃもんげんちょう)法師によって開かれたお寺とされています。
明治16(1883)年に火災に遭い、伽藍(がらん)はすべて焼失し、同17(1884)年に庫裡(くり)、同22(1889)年に鐘楼(しょうろう)門、大正15(1926)年に本堂が再建され今に伝わっています。
本堂の16枚の襖には、再建された大正15年に描かれた見事な禅画が残されています。これは縁切り寺としても有名な鎌倉の東慶寺三世・佐藤禅忠(さとうぜんちゅう)の手によるものです。禅忠は幼いころから絵が得意で、東慶寺で得度した後も、鐘楼の天井画を描いたり、師である釈宗演(しゃくそうえん)の詩に禅忠が画をつけて出版したりするなど「空華道人(くうげどうにん)」の画号を持つ禅画の名人としても知られていました。
今からおよそ100年前、大正12(1923)年9月1日に関東大震災が起こります。この震災によって、東慶寺は仏殿や書院などが全壊してしまいます。禅忠は東慶寺再建の費用を得るため、観音像など約300幅を描いて全国を行脚(あんぎゃ)しました。
高福寺にある襖絵の一枚には「臨済沙門空華道人 高福再興日 大正丙寅初冬」と記されていました。
ちょうど本堂の再建を行っていた高福寺では、禅画の名人である禅忠が、東慶寺再建のため全国を行脚していることを知り、本堂再建の記念に禅忠に襖絵の依頼をしたのです。自らのお寺の再建記念もさることながら、東慶寺再建の支援という面もあったのかもしれません。
襖絵は、曹洞宗の高祖道元や達磨大師のエピソードや、有名な禅問答の場面が描かれており、100年たった今でも禅の教えを伝えています。

写真(1):道元禅師入唐の図
道元禅師が中国に渡り修行していたところ、2匹の虎に襲われるが、持っていた杖が龍となり、虎の勢いをしずめたとされる場面

写真(2):慧可断臂(えかだんび)の図
達磨大師への弟子入りが許されない慧可が自らの左腕を切断してその覚悟を示し、達磨大師に弟子入りが認められたとする場面

※写真は本紙30ページをご覧ください。

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