- 発行日 :
- 自治体名 : 長野県長野市
- 広報紙名 : 広報ながの 2026年1月号
柳原雨水調整池の建設工事に伴い5月から12月にかけて行われた水内坐一元(みのちましますいちげん)神社遺跡の発掘調査で、弥生時代中期後半(約2000年前)の人面付土器の顔の部分が見つかりました。
人面付土器は、縄文時代の土偶を起源とする弥生時代の祭りの道具で、東日本を中心に約100点が見つかっています。これまで、市内では榎田遺跡(若穂)と松原遺跡(松代)から人面付土器が出土していますが、いずれも小さな破片で、今回のように顔つきが分かるものは貴重です。
■弥生の顔はどんな顔?
◇ひれ状突起
側頭部に貼り付けられた魚のひれのような突起で、縄文土偶にある同様の表現の名残と考えられます。縄文土偶では髪形を表現しているといわれていますが、果たして弥生はいかに!?
◇眉・鼻
額まで伸ばした鼻と眉が十字に交わる表現は、縄文の伝統を受け継いでいます。一方で、高い鼻は新しい表現の要素です。
◇髪飾り?
額からひれ状突起にかけて、半球形の突起が連なっています。髪飾りのように見えますが、後ろ側には回っておらず、土器装飾の可能性もあります。
◇文様
額と首には、同じ時期の一般的な壺(つぼ)と似た文様が描かれています。
◇目
アーモンド形にくりぬかれています。目や口をくりぬくのは、西日本の影響を受けた新しい人
面表現です。二重まぶたのような弧線は、入れ墨を表現したと考えられます。
◇耳
あごの側面に小さく粘土を貼り付けて表現されています。他のパーツよりも粗い作りですが、耳飾り用の穴が開けられています。
◇口
口の部分をくりぬいた後に裏から粘土を貼り、穴を開けて歯を表現しています。歯の表現がある人面付土器は佐久や群馬でも出土しており、共通性が注目されます。
※詳細は本紙をご覧下さい。
■人面付土器の用途
人面付土器は、縄文時代の土偶を起源として弥生時代中期前半に成立しました。これまでの研究で、中期前半には再葬墓(人骨を納める容器)として、後期には墓地の魔よけとして、人面付土器が使われたことが分かっています。
一方で、水内坐一元神社遺跡の人面付土器が作られた中期後半については、前後の時期に比べて出土例が少なく、その用途は明確ではありません。今回出土した人面付土器も、竪穴建物の中から日常の土器と一緒に見つかっており、使い方を直接示す痕跡は残っていませんでした。
しかし、出土地の近くからは礫床木棺墓(れきしょうもっかんぼ)(※)や河川跡など、何らかの祭りが行われた可能性のある遺構が見つかっており、今後の調査でそれらとの関係や、具体的な用途に迫るヒントが得られることが期待されます。
※…棺(ひつぎ)の床面に小石を敷き詰めた墓
■栗林文化と人面付土器
水内坐一元神社遺跡の人面付土器が作られた弥生時代中期後半、長野県の北半分では栗林式土器と呼ばれる特徴的な土器が使われました。そのことにちなみ、この時期の文化を「栗林文化」と呼んでいます。栗林文化は、縄文の伝統を継承したそれまでの文化をベースに、銅鐸(どうたく)や銅戈(どうか)、絵画土器など、西日本の弥生文化を積極的に取り入れました。伝統的な祭りの道具に、新しい文化要素を取り入れた水内坐一元神社遺跡の人面付土器は、栗林文化を象徴する遺物といえます。
■水内坐一元神社遺跡
長野市の東部、千曲川左岸の自然堤防に広がる「小島・柳原遺跡群」を構成する遺跡の一つで、柳原地区にある水内坐一元神社周辺に位置します。小さな河川により複雑に区切られた微高地上に集落が営まれ、弥生時代中期から中世に至る各時期の遺構・遺物がこれまでの調査で見つかっています。
中でも注目は、今回の調査地のすぐ西で見つかった集落を囲む環濠(かんごう)です。環濠は弥生時代後期末のもので、内側からは同時期の竪穴建物跡が5棟見つかりました。環濠からは盾・武器形・弓・農具などの木製品が多数出土しています。盾と武器形については、祭りに使われたものと考えられます。
■市内の遺跡の詳しい情報はこちらのサイトをご覧ください
◇長野市行政地図情報
市内の遺跡の場所を地図で確認できます。
〔読み取り後、「規制」→「遺跡地図(埋蔵文化財)」をタップ〕
◇長野市デジタルミュージアムながの好奇心の森
過去の発掘調査や出土品について調べることができます。
問合せ:埋蔵文化財センター
【電話】284-0004【FAX】284-0106
