- 発行日 :
- 自治体名 : 三重県亀山市
- 広報紙名 : 広報かめやま 2025年8月1日号
太平洋戦争末期の昭和20年1月、門司港を出港した陸軍輸送船「馬米丸」は、兵員と船員合わせて乗員2,112人を乗せて南方を目指し航海していました。そして、鹿児島県坊津町の久志湾沖にさしかかったとき、敵の潜水艦から発せられた魚雷を受け沈没しました。1,612名の尊い命が犠牲になりました。この慰霊碑は鎮魂の思いを込め、昭和45年1月に建立されましたが、今でもお供えの花が絶えることはありません。
ある時、慰霊碑を訪ねると、沈みゆく輸送船を目撃したという老婦人に出会いました。「見えたのですよ、ここから」。夕陽に照らされながら語る婦人の横顔が今も忘れられません。本当のあの頃を知っている人々がいなくなる…そんな淋しさを感じながら碑の前を去りました。中村晋也美術館では「戦後80年目の鎮魂展」を開催中です。
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