- 発行日 :
- 自治体名 : 三重県伊賀市
- 広報紙名 : 広報いが 2026年2月号
■市史跡 財良寺跡(才良)
日本に仏教が伝来したのは、6世紀の中頃といわれています。仏教が伝わると、地方の豪族たちは古墳に代わり寺院を建立するようになりました。飛鳥時代の推古天皇32(624)年に46カ所だった寺院数が、持統天皇6(692)年には545カ所となったといわれており、爆発的に寺院が増えました。
この頃の伊賀国には、財良寺跡のほか三田廃寺(はいじ)(三田)、鳳凰寺廃寺(鳳凰寺)、夏見廃寺(名張市夏見)の4つの寺院がありました。廃寺とはかつて所在した寺の跡という意味ですが、財良寺は、東大寺の歴史をまとめた『東大寺要録』という記録に「伊賀国財良寺天武天皇御願」と記されていることから「財良寺跡」と呼んでいます。
財良寺跡は才良地区の集落の南側、旧丸山中学校の西側にありました。寺跡の規模は、東西160メートル、南北100メートルの範囲と考えられています。空中写真からは、周囲より一段高い四角い区画がうかがえます。また古い地図には、寺跡があった辺りは「北之坊」「慶言院(けごいん)」「奥坊」といった寺院を思わせる地名が残っていました。「慶言院」は東大寺と同じ華厳宗であったことを示しているのかもしれません。
出土した軒丸瓦は、粟原寺(桜井市)と同笵(どうはん)(同じ型から作ったもの)で、大和国の豪族と強い結びつきがあったことがうかがえます。
東側の山を背に西側を木津川に面した風光の地に、塔や金堂など壮麗な伽藍(がらん)があった、いにしえの姿を思い浮かべることができます。
問合せ:文化財課
【電話】22-9678【FAX】22-9667
■お詫びと訂正
広報いが令和7年12月号に掲載の「伊賀の歴史余話(44)」に誤りがありました。お詫びして訂正いたします。
誤)フランス積み→正)イギリス積み
