- 発行日 :
- 自治体名 : 滋賀県草津市
- 広報紙名 : 広報くさつ 令和7年11月号
■幕末の物価を垣間見る―諸色相場之覚(しょしきそうばのおぼえ)―
「諸色相場之覚」は本陣当主・田中七左衛門が安政5(1858)年2月18日、鳥取藩主・池田慶徳(いけだよしのり)に宛て、事前に草津宿周辺の物価の相場を伝えるために書かれたものだと考えられます。
池田慶徳は水戸藩主・徳川斉なり昭あきの五男で、鳥取藩主の池田慶栄(よしたか)が急逝したことから、幕命を受け、鳥取藩主となった人物で、安政5年2月7日~28日に参勤交代の帰路についていました。池田慶徳が称している松平相模守(まつだいらさがみのかみ)・因幡少将(いなばしょうしょう)の名前が安政5年の大福帳(草津宿本陣蔵)に記載されており、2月20日に当本陣に宿泊したことが分かります。
本資料には金小判や銀を銭貨に両替するときの金額や、上旅籠(はたご)・下旅籠・木賃宿(きちんやど)に泊まる際の値段、食材や草鞋(わらじ)など参勤交代などで必要になるものの価格が記されていて、当時の宿泊代や物の値段、食事情などが分かる資料となっています。金一両に対する銀の両替が書かれている理由は、当時流通する貨幣の主流が江戸では金、大阪や京都では銀と異なっていたためです。本陣では、その換算率にしたがって休泊の費用などが支払われていたとされています。
また「玉子拾ツニ付弐百文」と書かれています。当時の1文を現在の20円と換算(諸説あり)すると、卵10個が約4,000円となり、当時の物の価値が現在と違っていることが分かります。
今回紹介した資料は、史跡草津宿本陣で開催中の企画展「たびにかかるお金㆐宿場町の視点から㆐」で展示しています。本展では、宿泊費や食事代、人やものの移動などにかかる旅の費用について、本陣所蔵の資料を中心に紹介しています。ぜひお越しください。
問合せ:草津宿街道交流館(草津三)
【電話】567-0030
【FAX】567-0031
