文化 りっとう再発見216

■古代近江の要 栗東の歴史文化ストーリー(I-C)
『栗東市文化財保存活用地域計画』(令和4年作成)で設定した、関連文化財群の中から、今回は栗東の奈良時代(8世紀)を中心としたストーリーを紹介します。
栗東は古代の行政区域では近江国栗太郡(今の栗東市・草津市・守山市・大津市の一部)にあたります。現在の栗東市は国道1号と8号が分岐し、栗東インターチェンジがあるなど交通の結節点で、千数百年前の古代においても、幹線道路である東山道と東海道が通る交通の重要な場所でした。
近江国は、宮都や寺院の造営に不可欠であった鉄や木材などの供給地でした。古代栗太郡内の瀬田丘陵にある木瓜原(ぼけわら)遺跡や野路小野山(のじおのやま)遺跡(いずれも草津市)などでは、製鉄などを行っていた大規模な生産施設が明らかになっています。
近江国の役所(国庁※現在で言う県庁)は栗太郡に置かれていました。地方の役所ではありますが、近江国の財力を背景に、藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)など有名な政治家が国司の長官を務めています。国庁跡は大津市大江で発見され、瓦葺(かわらぶき)の壮大な施設があったことが分かっています。
このように重要な場所であった古代の栗太郡ですが、その役所(郡衙(ぐんが)※現在で言う市役所)が置かれたのが、栗東市岡遺跡(岡・目川・下戸山地先)です。昭和から平成の初めにかけて実施された岡遺跡の発掘調査では、役所に関係する奈良時代の建物跡がまとまって発見され、長舎(ちょうしゃ)で囲まれた正殿や格式の高い八脚(はっきゃく)門をかまえていることが分かりました。租税を収納した倉庫跡も発見されています。
ところで岡遺跡の近くには小槻(おつき)大社があり、古代豪族である小槻氏の祖先(落別命(おちわけのみこと))を祭っています。小槻氏は古代の山林資源を掌握していた氏族であり、奈良時代には栗太郡の郡司を務めていたことがわかっています。郡の中心である役所は郡司の本拠地に営まれたものと考えられ、地の利や、豊富な資源を背景にした地域支配の様子をうかがう事ができると言えます。

■栗東の関連文化財群
歴史文化要素を、歴史的な性格や位置づけに応じて、周辺の環境を舞台に一体的・総合的にとらえたものを関連文化財群とします

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