文化 壷中雑記(40)―歴史文化博物館から―地図にみる愛荘町の景観

地図は、地表面の状況を記号や文字、様々な色分けをして表現されているものをいいます。その地図は、私たちの日常生活の様々な場面で用いられ、必要不可欠なものとなっています。一方で、地図に描かれる情報は、その地域の特徴や歴史を知ることができる手段となります。
そこで今回はその一例として、愛荘町の指定文化財である、明治期に描かれた壬申地券地引絵図(地券取調総絵図)を用いて、紹介します。

1.壬申地券地引絵図(じんしんちけんじびきえず)とは
壬申地券地引絵図は、地籍図のことで、土地一筆ごとの区画、地目、面積、所在場所の小字や地番等が示されています。
この絵図が作られた目的は、明治政府が行った政策である地租改正に伴うものです。それまで江戸時代の農村において、年貢という物納を中心とした税制であり、基本的に米で納められていました。一方、地租改正は、税の納め方を物納から金納に改めるものですが、そのために、土地の所有権を確定させる必要がありました。そのため、当時の村や町ごとで正確な台帳や地籍図が作成されることになります。それまで土地に関する絵図等は村ごとで作られ、記載内容にもばらつきがありましたが、壬申地券地引絵図の誕生により、記載内容の統一が図られ、公文書としての信頼性を得ることとなります。
絵図を見ると、色鮮やかに塗り分けがされ、それらの色にはそれぞれ、道・水(川)・田・屋敷等の情報が示されています。愛荘町には、これらの絵図が50点伝わり、一見するとどの集落も同じ情報の記載に見えます。しかし、地域によっては、特殊な表記を見ることができます。それは、その村(集落)の特色を示すものと言えます。
現在でこそ、愛荘町は農業が盛んな肥沃な土地となっていますが、その基本的な地形の特徴は扇状地です。扇状地は砂礫の堆積から、水はけが良い傾向にあるため、大量の水を必要とする稲作には不向きの土地でした。さらに栗田村は、耕土が15センチメートルと浅く、干ばつ時には表土に亀裂が生じ、水持ちが悪いとされていました。これらの農地環境を改善しようと、栗田村では、田1枚、もしくは2~3枚ごとに井戸を設けたと考えられます。

2.絵図に見える特徴・栗田村
栗田村(現在の愛荘町栗田)の絵図を見てみると、田・畑・屋敷・水・道・薮・林・荒地の色付けがされている中、「」のマークが別途設けられています。絵図の凡例では、これは井戸を示しており、それが絵図の至る所に散らばっていることがわかります。

3.まとめ
このように、かつて絵図に描かれた内容を読み解くと、自分たちが住むまちの特徴や個性を知ることができます。この知り得た情報を活かすことによって、今後、まちの魅力創出につながるかもしれません。

歴史文化博物館 梅本匠