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- 自治体名 : 京都府宇治田原町
- 広報紙名 : 町民の窓 令和7年9月号 No.690
鷲(ワシ)が翼を広げているように見える南山城地方の最高峰、鷲峰山(標高682m)のふもと、集落内を大導寺川が流れ、自然豊かな田園風景が残る立川大道寺地区は、奈良時代に山岳修験の道場として開かれた金胎寺の北側登山口として重要視されてきた。
天平勝宝8年(756年)鷲峰山中興の越知泰澄大師が、この地に開基した寺院「大道寺」の名称が集落名のゆえんである。
大伽藍も配置され「大道寺大御堂」と称されていた寺院は、その後、戦乱等の歴史の中で興亡を繰り返し、戦国時代の末期、織田信長による寺領没収により、滅亡に近い寺院になったと伝えられる。
特に昭和28年南山城水害で裏山の土砂が崩れ落ち、堂宇は潰滅するが、本尊不動明王など五体の仏像のみが難を逃れて、現在、平成16年10月に新しく建て替えられた御堂に安置されている。
毎月28日のお不動さんの日には、京都の千本釈迦堂(大報恩寺)から住職が来られて法要されており、また地元の人たちによる御堂内の清掃などの奉仕作業も毎月1回行われている。
御堂の近くには平治の乱(1159年)で所領のこの地で自害したという信西(藤原通憲)を供養した信西入道塚(町指定史跡)があり、宝篋印塔が立っている。
文化財保護委員会委員 上野 照雄(郷之口在住)
