- 発行日 :
- 自治体名 : 大阪府堺市
- 広報紙名 : 広報さかい 2025年6月号
戦争の記憶を風化させることなく平和への願いを次世代へとつなぐため、戦争を体験された方の体験談を連載します。
■第1回 柴辻英一さん
現在99歳。堺大空襲当時は大浜北町に住んでおり、自宅にて空襲の被害に遭う。自身の戦争体験を後世に語り継いでいってほしいと強く思っている。
1945年春、当時19歳だった私は電気工学の学校に進学しましたが、急きょ、通信・放送・無線関係を監督している役所に配属され、アメリカからの情報放送などを聴き日本軍に伝える役目を担いました。
7月9日夜、警戒警報が鳴り、自宅前から和歌山方面の空が赤く染まるのが見えました。とても不安になりましたが、10日未明には警戒警報が解除され、安心して寝床についた矢先に空襲警報が鳴り、それと同時に焼夷弾(しょういだん)が投下されました。
私は退役軍人の父と、ばらまかれてくる火のついた油をほうきで消そうとしましたが手に負えず、用水池に避難しました。池は胸ほどの深さしかありませんでしたが、父の指示で鼻の下までつかり、酸素を確保するため水面すれすれの高さで鼻呼吸しました。この指示のおかげで命を守ることができたので、父にはとても感謝しています。