- 発行日 :
- 自治体名 : 兵庫県赤穂市
- 広報紙名 : 広報あこう 2025年12月号
◆蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)も手がけた「忠臣蔵」の黄表紙(きびょうし)
◇蔦重(つたじゅう)の出版活動と草双紙(くさぞうし)の発展
今年のNHK大河ドラマの主人公・蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)(通称蔦重(つたじゅう))は、板元(はんもと)(出版社)として多くの江戸文芸や浮世絵を世に送り出しました。絵本や漫画に似た絵入り読み物「草双紙(こさぞうし)」もその一種です。草双紙は当初「桃太郎」や「かちかち山」などの昔話がかかれた子ども向けのものでしたが、次第に大人も楽しめる作が増えていきます。蔦重が板元として活躍した安永3年~寛政9年(1774~1797)頃、草双紙は前時代の「青本(あおぼん)」から進化し、やがて表紙の色から「黄表紙(きびょうし)」と呼ばれるようになり、新顔の作者たちを迎えて発展します。
◇黄表紙と「仮名手本忠臣蔵」
人形浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」(以下「忠臣蔵」とする)は、初演(寛延元年・1748年)から二十年あまりが経つと、黄表紙の恰好の素材となります。「忠臣蔵」は歌舞伎の人気作となって繰り返し上演され、また、語りの義太夫節(ぎだゆうぶし)は習い事としても親しまれ、その物語は広く知れ渡っていました。黄表紙作者たちは、よく知られた「忠臣蔵」の物語を面白く書き替えたり、その登場人物を描いたり、名ぜりふをもじったり、さまざまな手法で「忠臣蔵」をパロディ化しました。「忠臣蔵」を素材とした草双紙は以前からありましたが、安永8年(1779)に、もしも「忠臣蔵」の登場人物がすべて「通(つう)」(=物事や人情を解する人、野暮でない人)だったらどうなるか、という設定でかかれた『案内手本通人蔵(あなでほんつうじんぐら)』(朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ)作・恋川春町(こいかわはるまち)画・鱗形屋孫兵衛(うろこがたやまごべえ)板)が大ヒットすると、続々と模倣作が出版されるようになります。
◇蔦屋重三郎と「忠臣蔵」の黄表紙
蔦重も「忠臣蔵」を素材とした黄表紙を30作あまり出版しています。ここではその中から数作品を紹介してみましょう。
『殻鉄砲挑灯具羅(からでっぽうちょうちんぐら)』には、塩冶判官(えんやはんがん)(史実では浅野内匠頭にあたる人物)の妻が判官に切腹前の衣装を着させる場面や、大星由良之助(おおぼしゆらのすけ)(史実の大石内蔵助)に塩冶浪人の一人・早野勘平(はやのかんぺい)の切腹の様子を報告する諸士の姿など、「忠臣蔵」の物語の裏側が描かれます。
『天道大福帳(てんとうだいふくちょう)』では、この世の出来事は天道(てんとう)の意思によるものとされ、「忠臣蔵」の登場人物が天道や手下の天人たちに見守られ、長い熊手で操られる様子が描かれます。時々天道や天人がよそ見などをして失敗し、それが「忠臣蔵」の悲劇へと繋がります。
『忠臣蔵前世幕無(ちゅうしんぐらぜんぜのまくなし)』では、ものには全て前世があり、過去・現在・未来は幕なしの芝居のように繋がっているとされ、「忠臣蔵」の登場人物の前世が描かれます。例えば、高師直(こうのもろなお)(史実の吉良上野介)の前世は「ごろにゃんごろにゃん」と鳴き「ごろにゃんこう」と呼ばれた猫だったため現世で「師直公(もろなおこう)」と呼ばれます。塩冶判官は前世でその猫に額を引っかかれ、薬屋の亭主に血止めの薬を貰い、お礼に腹切金(はらきりがね)(自腹)で亭主にご馳走する、という具合です。
最後に、蔦重も登場する『人唯一心命(ひとはただいっしんいのち)』を紹介しましょう。これは、寛政改革下で起きた心学(しんがく)ブームに乗り、「忠臣蔵」の登場人物の心の動きを描いた作品です。最後には作者・唐来三和(とうらいさんな)が蔦重に原稿を見せる場面があり、作者と板元の心の内も描かれます。蔦重は表向き「よく出来ました」と褒めますが、心では「もうちっと面白くなりそうなものだが急ぐからこれで彫るより仕方ない」と言い、三和の心は「近年の妙作だがなぜか褒めようが少ねえ」と、作品への自信と蔦重への不満を覗かせます。作者と板元が別の立場から、作品の面白さを追求する様子が見て取れます。
「忠臣蔵」は蔦重の活躍した頃、衆人周知のものとなり、多くの黄表紙に描かれて人々に笑いをも提供したのです。
齊藤 千恵(さいとう ちえ)(法政大学文学部兼任講師)
