文化 我がまち朝来 再発見(第214回)

■「名誉」ある鉄びん
今年は5年に一度の国勢調査の年にあたり、今回で22回目となります。9月下旬頃に皆さんのところに調査書類が届く予定で、調査期日は10月1日となってます。今はスマホで簡単に回答ができ、最短5分ほどで終わるものとなっていますが、今から105年前、制度ができた当初は国勢調査員が一軒一軒調べ歩く大変なものだったようです。
昭和55年(1980年)に以下の見出しの新聞記事が掲載されました。『国勢調査員は戦前「名誉職」―第一回(大正9年)に記念品 鉄びん 山本さんが保存 和田山町—』。この記事は第13回国勢調査が実施される際に出されたもので、山本登志(とし)さんが所有されていた、第1回国勢調査の記念品に焦点を当てて書かれています。
山本さんは大正時代の初めごろ、今の朝来市和田山町宮田から、岡山県美咲町に嫁(とつ)がれました。大正9年(1920年)、日本で初めて国勢調査が行われることになった際に、当時村会議員を務めていた義父が調査員として活動されたそうです。「一軒一軒調べて歩くことは、最初のことでもあり、大変苦労されたようです」と、当時の様子を山本さんは振り返っています。
第1回国勢調査が実施された当時、町村長や議員は「名誉職」という枠組みで、無給に近い状態でその責務を全うしていました。国勢調査員も名誉職として調査に取り組んでいたそうです。戦後からは非常勤の国家公務員として調査員報酬という名目で給与が出ています。当時の新聞記事にも、「戦前の調査員は明らかに名誉職で、戦後は国家公務員として調査員報酬を出すようになった。戦前の記念品は、国がその名目で予算化したことはなく、調査員も少なかった関係から、府県で一律に記念の品物を調達したようだ」と、総理府統計局国勢統計課(今の総務省統計局)が回答しています。
第1回の岡山県の記念品は鉄びん・スズ製の杯(さかずき)・銚子(ちょうし)(とっくり)だったそうです(兵庫県の記念品については不明)。山本さんは鉄びん以外を火事で紛失してしまっており、そのことを残念がっていたそうです。記念品の鉄びんは南部鉄器で、底の直径が12cm、つるを立てた高さが28cmで、胴の横には右書きで「大日本帝国 第壱回国勢調査記念」、反対側には満州や樺太(からふと)、台湾などを含む当時の日本地図が刻印されています。
朝来市埋蔵文化財センターでは朝来市制20周年を記念して、指定文化財を中心に朝来の歴史を振り返る「文化財で巡る朝来の歴史展」を開催中です。会期は前期:7月5日(土)~9月15日(月・祝)、後期:9月25日(木)~12月14日(日)です。
前期は縄文から古代にかけて、後期は中世から近代にかけての歴史を紹介します。今回紹介した「鉄びん」は後期で展示する予定です。このほかにも普段あまり目にすることができない県指定・市指定文化財を多数展示していますので、この機会にぜひお越しください。
※画像など詳しくは本紙をご覧ください。

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