文化 〈特集〉ぶらり飯南探訪

■見慣れた場所に、知られる歴史が ぶらり飯南探訪
まちのあちらこちらに残る史跡や文化財。その価値や語り継がれた物語に触れた時、このまちの新たな一面が見えてくるのではないでしょうか。奥深き文化財の数々を紹介します。

◆大切に守られてきたご神体
赤穴(あかな)八幡宮(赤名)のご神体の一つである「玉依姫(たまよりひめ)立像」。足元には、導きの神である八咫烏(やたがらす)と思われる木像を2体従えていました。
これらがどのような経緯で製作され、祀られたのか、確かな資料は残っていません。しかし、赤穴八幡宮には玉依姫が登場する「丹塗箭(にぬりや)神話」や、神話にまつわる遺構が残されており、玉依姫が古くから人々に崇敬されていたことがうかがえます。
千年以上前に製作された玉依姫立像を、赤穴八幡宮では代々大切に継承してきました。経年により腐食が進むこの像を、後世に残したいと、今年3月には県立古代出雲歴史博物館に寄託。保存処理が施され、その姿は、次の千年へと受け継がれます。

◆裏山から出土した1万5000枚の古銭
平成30年4月、谷地区の民家の裏山から、壷に入った約1万5000枚の古銭が発見されました。
出土した約60種の古銭のうち、特に枚数が多かったのが中国の宋(960〜1279年)で鋳造された「祥符元寶(しょうふげんぽう)」と「祥符通寶(しょうふつうほう)」。日宋貿易により輸入され、経済活動に重要な役割を果たした銭貨です。
出土した状況から、この2種の銭貨を意図的に選んで埋蔵したと推測されます。このような意図がうかがえる古銭の出土事例は、全国でも初のことであり注目を集めています。
大量の銭貨を蓄えることができたのはどんな人物だったのか。戦乱への備え、呪術、商い―一体何の目的で銭貨を埋めたのか。偶然発見された古銭から、先人たちの暮らしに思いを巡らすことができます。
町教育委員会では、出土した古銭の詳細調査を実施中で、今年度、中間報告会を開き、調査経過をみなさんにご紹介する予定です。

◆未だ謎多き山城
14世紀後半に衣掛山に築かれ、今も勇壮な姿を残す「瀬戸山城跡(赤名)」。数々の文献資料により、築城の経緯や、城を巡る激しい攻防の様子が今に伝えられています。
瀬戸山城を知る上で欠かせないのが石垣。山頂に築かれた石垣には、くさびを差し込んで石を削った跡である「矢穴(やあな)」が残っています。この矢穴の形状等から、瀬戸山城の石垣は、「関ケ原の戦い(1600年)」以降に形成されたのではという見解も。
瀬戸山城は、石垣調査、城の機能分析など未調査の領域も。今後、町教育委員会は石垣の図面化などの調査を行い、瀬戸山城跡の町指定文化財登録を目指します。

◆私たちは、どんなまちを残したいか
まちに残る文化財や史跡からは、この地域の成り立ちや、過去の人々の暮らしの様子がうかがえます。先人たちは何を大切にし、どんなまちを築きたかったのでしょうか。そして私たちは、どんなまちを築いていくのでしょうか。
もう一度、この地をじっくり味わいに、ぶらり飯南探訪に出かけてみてはいかがでしょうか。

◆あなたはいくつ知っていますか?クイズこれなーんだ?
見慣れたまちの中に潜む、先人たちの暮らしの痕跡。
後世に残し、伝えたかったこと。
あなたはいくつ知っていますか?
(1)全国でも珍しい形の狛犬
(2)平家随一の猛将の子孫
(3)古い赤名の町がよみがえる
(4)巨石を支える守り神
(5)100年以上前の外国製
(6)街道を見下ろす戦国時代の砦跡
(7)主君への忠義を貫いた戦国武将
(8)常識を覆した謎の土偶
(9)左ハ石州さけ谷 右ハとん原
(10)子どもの夜尿症にご利益あり
(11)美しい明治時代の石橋
(12)鎌倉時代の神像で国指定文化財
(詳しくは本紙13ページをご覧ください)
クイズに登場した史跡等の詳しい解説は、ホームページでご覧ください。
(本紙3ページにQRコードを掲載しています」)

◆古文書の情報提供をお願いします
地域の歴史を解明するのに、重要な役割を果たすのが「古文書」。
町教育委員会では、地域に伝わる古文書の保護・調査に取り組んでいます。
江戸時代より前の古文書をお持ちの方は、情報提供をお願いします。

問合せ:教育委員会
【電話】76-3944