文化 【シリーズ第189回】井坂発電所

岡山県の電力事業は、明治二十七年(一八九四)に岡山市に設立された岡山電灯株式会社によって、中国地方で初めて開始されました。県北で電力事業が始まるのは、そこから十二年を経た後の明治三十九年(一九〇六)のことです。

この年の十月八日、津山町会において電力に関する工場及び電柱電線架設など設備承認の件について議論が行われ、「調査委員会を設置して発起人の意向を確認して充分調査を行った上で承認した方がいいのではないか」という提案が満場一致で賛成されました。

その後、津山電気株式会社発起人会が発足し、久米郡佐良山村(現津山市)に石炭を燃料として発電する火力発電所を建設する計画が明治四〇年七月四日に認可を受けましたが、当時水力発電が好評を得ていたため計画を中止し、水力発電所の建設へと転換したようです。当時の新聞記事を追っていくと、すでにこの年の二月には久田村や高田村(現津山市)などで水力発電の水源地調査を実施し、最終的に泉村井坂(現鏡野町井坂)に水力発電所を建設することを決定して、五月十一日には泉村長坂手雄登と津山電気株式会社発起人矢吹金一郎・牧駿治の間で水利使用と電気事業にかかるすべての認可を経た後、六か月以内に起工することを含めた契約書が交わされていますので、火力発電所建設を申請して認可されるまでの間にすでに水力発電所建設に向けた計画が具体化されていたことがうかがわれます。

美作地方初の水力発電所となる井坂発電所は、苫田郡泉村大字井坂字下木原四八〇番地に設置されることが決定しました。現在の奥津振興センターから国道を挟んで南東の吉井川左岸付近になります。当時の新聞記事からその概要を引用すると、隣接する羽出村の布江から吉井川の水を取水し、井坂発電所までの間の水路を新設して発電所から排水路により再び吉井川へ放流するという設計で、総工費三万五千円の予算で計画されたようです(『山陽新報』明治四十年五月十七日)。

そして翌明治四十一年(一九〇八)八月三十日、鶴山館にて設立総会を開催し、社長に苅田善治郎を選出して美作地方初の電力会社となる津山電気株式会社が設立されました。その後、井坂発電所の建設計画は一時行き詰まりますが、一部の株主による強い要望によって再開され、明治四十二年(一九◇九)七月に工事を着工、翌明治四十三年四月に運転が開始されました。開始当初の電力供給区域は津山町、西苫田村、林田町(いずれも現津山市)の一、四四二戸でしたが、年々供給区域も拡大し、現鏡野町域へ供給が始まったのは大正二年(一九一三)のことです。

その後さらなる電力需要に対応するため、大正三年(一九一四)には羽出発電所建設を着手し、大正五年には津山電気株式会社が倉敷電灯株式会社と合併して備作電気株式会社となりましたが、建設事業は継続され同年九月に完成し運転を開始しました。井坂発電所は羽出発電所と共にしばらく並列運転されていましたが、大正十年(一九二一)の久田発電所の運転開始に伴い運転は中止され、その後廃止になりました。

井坂発電所の跡地は現在は雑木林になっていますが、放水路の跡やコンクリートの構造物がわずかに吉井川流域初の水力発電所があった頃の面影を残しています。

参考:『奥津町史』『新修津山市史』『みまさかの電気の歴史』『山陽新報』

問合せ:鏡野町教育委員会 生涯学習課 日下
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