- 発行日 :
- 自治体名 : 広島県庄原市
- 広報紙名 : 広報しょうばら 2025年11月号(No.248)
開館:10時~17時、
休館:月曜(祝日開館・翌日休館)・年末年始
■陽内(ようち)遺跡と縄文時代の暮らし
陽内遺跡は、濁川町を流れる比和川沿いに張り出した尾根先端の河岸段丘(かがんだんきゅう)上に立地する縄文時代早期から中期にかけての遺跡です。縄文時代早期から中期の間は約5000年あり、この期間に断続的に利用されていたことが分かっています。
しかし、陽内遺跡は河岸段丘上部のわずか400平方メートルほどしか利用できる場所はありません。なぜ、縄文時代の人々はこのような場所を好んで選び、そこで生活を営んだのでしょうか。
陽内遺跡からは、漁網用の石錘(せきすい)(石の重り)が多く見つかっています。石器の中では最多で、33点が発見されました。遺跡の目の前には比和川が流れており、ここでの水産物の採取が盛んであったことがうかがえます。
ほかにも狩猟用の石鏃(せきぞく)(矢じり)も7点見つかっています。このことから、陽内遺跡周辺は魚や野生動物など、生きていくために重要な食糧が豊富に捕れる場所であったと考えられます。
また、石皿(いしざら)や磨石(すりいし)(すりつぶす道具)、土器なども多く見つかりました。これは捕らえた野生動物や魚、ドングリなどの調理が日常的に行われていたといえます。狩猟道具や生活雑器を作成するための道具や、制作過程で発生した破片なども見つかっています。
これらのことから考えると、今から約5000年以上も昔の縄文時代に人々が陽内遺跡を訪れ、ここをキャンプサイトのような形で利用し、さまざまな狩猟道具を作り、魚や野生生物を捕り、調理道具やお皿などを自作しつつ日々を送っていたのでしょう。
陽内遺跡は開発のため、すでに消滅しましたが、出土遺物のすべてが平成15年に広島県の重要文化財に指定されました。
本館では、先ほど紹介した石錘をはじめ、ほぼ完形の深鉢(ふかばち)土器や耳栓(じせん)(耳に付ける装飾品)など貴重な資料を展示しています。実物を見ながら当時の人々の暮らしに思いをはせると、昔の人も栗の実を食べていたのだろうか、1回の投網でどれだけの魚が取れていたのだろうかなどさまざまな想像が膨らみます。
ぜひ本館にご来館いただき、縄文時代の人々の暮らしに思いをはせてみてはいかがでしょうか。
問合せ:田園文化センター
【電話】0824-72-1159
