その他 ふるさとふちゅう再発見

■第58回 府中が農村だったころ(18)〜府中町内の山

府中町の山林は町域の何%を占めるか知っていますか。平成28(2016)年改訂の「府中町都市計画マスタープラン」では町域の全面積は10・41平方キロメートルで、そのうち4・5平方キロメートルが山林です。43・2%が山です。広島市近郊の町としては広いと思いませんか。皆さんは府中町にある山の名前をいくつ知っていますか。『芸藩通志(げいはんつうし)』の村絵図にはアケクラ(揚倉)山・大谷山(おおたにやま)・鹿籠山(こごもりやま)・観音山(かんのんやま)・堂所山(どうしょやま)・鍋倉山(なべくらやま)・千代山(せんだいやま)が記されています。文化12(1815)年に同書編纂のために出された「下調(したしらべ)帳」では、62の山の名称が記されています。その多くは腰林(こしばやし)と呼ばれた私有の山です。
私たちが山の名称を知らないのは2つ理由があります。まず、宅地化が進み、姿が山でなくなったことです。私の知人は府中町字坊主山(あざぼうずやま)に住んでいましたが現在の住居表示は柳ケ丘です。柳ケ丘団地は鹿籠山・日焼山(ひやけやま)・坊主山を造成してできました。団地内に坂道が多いことは知っていても、現在の住宅が立ち並ぶ姿から山をイメージする人は少ないでしょう。
もう1つは、今の生活において山が身近でないことです。農村であった頃の府中村では、山は建築材を伐採する場所、田畑の肥料にする下草などを得る場所、薪など燃料の木を伐る場所であり、生活に無くてはならない場所でした。このため日常的に手を入れ、山を守りました。生活様式の変化とともに山との関わりが減り、山の名も意識されなくなったのです。空城山(そらじょうやま)や揚倉山には大きな公園が作られ、町民にもよく利用されるため、地名としても場所もよく知られています。また日焼山児童公園・野地山(のじやま)児童公園・観音山児童公園などはかつては山の一部で山の名称が公園名として残っています。

府中町文化財保護審議会委員
菅 信博