文化 [令和版]山城作業日記 河後森城(かごもりじょう)からこんにちは -20-

前回紹介したように、河後森城の西第十曲輪(くるわ)には、16世紀頃(1500年代)、馬屋を備えた番小屋が建てられていました。この建物に実際馬がつながれていたのは、中央から東側の部分であると想定されますが、ここは馬が方向転換できるよう通常より入口が広めに作られ、2頭が係留(けいりゅう)できるようになっていました。
また、中世の絵巻物を参考にすると、いまでは想像できないような馬屋についての興味深い特徴が見受けられます。そのひとつは、地面近くが板敷きになっていることで、馬が大切に扱われていたことがわかります。次に上部からお腹をくくる綱が設けられていた点です。これは馬が立ったまま眠るという習性を手助けするための工夫だといわれています。最後に近くに生きた猿がつながれているケースが多いという点です。当時、猿が病から馬を守るという信仰があったようで、その名残りの一例として日光東照宮の馬小屋(江戸時代)にある「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻が有名です。
過去に河後森城では、以上のような絵巻物を参考に馬屋の内装を整備し、実際に日本在来の馬である野間馬(のまうま)の登城実験を行っています。競走馬のサラブレッドなどと比べて小柄ではありましたが、どんどんと勇猛果敢(ゆうもうかかん)に山道を登る姿は、中世当時の様子を彷彿(ほうふつ)とさせるものでした。
(続く)