文化 ゆくはし今昔物語

市制70周年を迎えた行橋市。山や海に囲まれ、京築地域の中核として人が行き交い、歴史と文化が育まれてきました。昔懐かしい行橋の風景や町なみの、「今」と「昔」をご覧ください。

◆Vol.028 新田原カトリック教会
12月を迎えると、街中は一気にクリスマスムードとなり、今年も12月12日に行橋駅でイルミネーションの点灯式が行われます。
クリスマス(12月25日)はイエス・キリストの降誕を記念する祭で、日本で一般的になったのは、明治時代の終わり(1900頃)に高級スーパーの明治屋がクリスマス向け商品を販売したことがきっかけとなり、大正15年(1926)12月25日に大正天皇が崩御、昭和2年(1927)から22年(1947)まで21年間12月25日が「大正天皇祭」として祭日であったため、クリスマスの習慣が広く普及、定着したとされます。
今回は市内でもキリスト教徒が多い、新田原のカトリック教会の今昔をみていきます。

◇1933年/昭和8年 新田原カトリック教会の聖堂完成
行橋市の東部、新田原にキリスト教徒が多いのは、昭和元年(1926)に隣接する祓郷村呰見(現・みやこ町呰見)に北海道のトラピスト修道院の九州分院が開設。長崎県の五島列島から多くの修道者が移住してきたことによります。トラピストとは、キリスト教の宗派の1つであるカトリックの修道会の俗称で、厳格な規律のもと、牧場、果樹園、菜園で農作業を行いながら共同生活を営みました。
こうした評判が多くのキリスト教徒の移住を呼び、昭和5年(1930)には東徳永に新たな教会が設立。3年後には信者が礼拝する聖堂が落成します。

・聖堂は、長崎県のカトリック教会堂建築を多く手掛けた鉄川与助による建築。

◇2024年/令和6年 新田原カトリック教会
その後も教徒が増えたため、新聖堂を建設することになり、昭和50年(1975)に広さ639平方メートルの新聖堂が完成します。昭和8年に完成した旧聖堂は惜しまれながら解体され、平成10年(1998)、信者たちが交流するテレジア館に生まれ変わりました。
一方、昭和元年に開設したトラピスト修道院は、航空自衛隊築城基地の騒音等から逃れるため、昭和39年(1964)に佐賀県伊万里市に移設。跡地は現在築城基地の施設となっています。

・谷口尚志(まさし)神父は「現在、土曜日夜と日曜日朝に行うミサには、約200人の信者の方が礼拝している」と述べる。

新田原カトリック教会は、緑と田園風景、果樹園に囲まれた、静寂なたたずまいの中、100年前と変わらない時を刻んでいます。
クリスマスは、気の合う仲間でパーティーをしたり、家族でチキンやケーキを囲んだり、あるいは恋人とイルミネーションを見に出かけたり…。チャペルの礼拝堂で祈りを奉じ、神への賛歌を捧げて過ごすのも良いのはないでしょうか。

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