- 発行日 :
- 自治体名 : 福岡県大野城市
- 広報紙名 : 広報「大野城」 令和7年6月15日号
■大野城心のふるさと館のおすすめ(18)
◇いにしえの要塞を歩く
7世紀の後半、東アジアは動乱のさなかにあり、倭国(当時の日本)もまた時代の波に翻弄されていました。663年、友好関係にあった百済の危機に救援を送った倭国は、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗北を喫します。連合軍の追撃を恐れた倭国は、博多湾沿岸にあった筑紫大宰を大宰府に移転し、翌年には長さ1.2kmの長大な土塁と幅60mにもなる濠を備えた水城を築いて敵の侵入を防ぐとともに、大野城、基肄(きい)城をはじめとした要塞を築いて周囲の守りとしました。
それから1360年以上の時が流れた現在、水城跡は自然豊かな緑地としてその姿を伝えています。
西鉄下大利駅から高架下の歩行者道路を南に進んだ先には、4月に水城外濠広場がオープンしました。広場は砂地の外濠部分と芝生を張って復元した土塁部分に分かれており、築造当時の水城のスケールを間近に感じられる場所です。そして外濠広場から土塁沿いの遊歩道を歩いていくと、JR鹿児島本線を挟んで土塁が途切れた箇所があります。ここは大正2(1913)年に線路の拡張工事によって土塁断面が露出した際、黒板勝美、中山平次郎の両氏によって初めて土塁の観察調査が行われた場所で、平成25(2013)年の再調査を経て土塁断面を復元した広場が整備されました。現地では土を突き固めて積み上げた版築の様子や、その下の軟弱な地盤を補強する敷粗朶(しきそだ)といった土塁の構造を観察することができます。
その先、JR水城駅から西側は線路を迂回をしなければなりませんが、水城築造に関する伝説が残る父子嶋(ててこじま)や当時の外交使節が通った西門跡など、まだまだ多くの見所があります。水城跡で自然を感じながら、歴史散策をしてみませんか。
問い合わせ先:心のふるさと館文化財担当
【電話】558-2209