- 発行日 :
- 自治体名 : 福岡県太宰府市
- 広報紙名 : 広報だざいふ 令和7年12月1日号
■古代山城と大宰府(5・完)〜発掘調査から考える古代山城〜
前回(8月号)述べたように、文献史料がない古代山城については、その発掘調査の成果を基に考察することが重要です。おもに2000年代以降、史跡整備のための確認調査、また豪雨被害からの復旧工事に伴う調査等が行われたことで、それぞれの古代山城のありようがだんだんと明らかになってきました。
整備にかかる確認調査では山城の範囲を確定させるため、周囲の外郭線調査が優先されます。したがって城内の調査が十分ではない山城も多くあります。外郭線の調査では周辺の樹木伐採から始めなければならないところもあって、それには日数と人手が必要です。また城内の広さはそれぞれ異なりますが、あまり大きくはない山城であっても、それを踏査するだけでも大変なのです。
一方、災害復旧工事は基本的に被災場所がその対象です。石塁の崩壊、土塁の崩落などの事例が報告されていますが、多くの場合、復旧工事に伴う調査はその周辺に限られ、広い範囲に及びません。わたくしは北部九州にある、いわゆる神籠石(こうごいし)系山城の多くを巡ってみましたが、近年相次いでいる集中豪雨の影響でしょうか、一部の入口が閉鎖されていたり、史跡公園として整備されている場所でも折れた木の枝が散乱していたりするような山城、あるいは重機が投入されて実際に復旧工事が行われている山城もありました。
先に古代山城における城内の調査がまだまだ不十分であることにふれましたが、そのことを差し引いても、特にいわゆる神籠石系山城では城内で建物跡がほとんど確認されていません。その理由について、山城が実際に供用されるときになってから大急ぎで管理棟や倉庫などを建てるからだという解釈があります。成り立ちうる解釈だと思いますが、そうだとすれば築城時にすでに倉庫等の建物、それも数多くの建物がある大野城、基肄(きい)城、鞠智(きくち)城とは全く様相を異にすることになります。この違いは築城目的やその機能の相違に関係するでしょう。大野城跡については、今年度から福岡県による保存活用計画の策定が始まっています。それに基づく今後の調査に期待したいと思います。
太宰府市公文書館
重松(しげまつ)敏彦(としひこ)
ページID:7241
