- 発行日 :
- 自治体名 : 福岡県太宰府市
- 広報紙名 : 広報だざいふ 令和7年12月1日号
■新指定の文化財 光明寺本堂(こうみょうじほんどう)1棟
附 大方玄関(たいほうげんかん)、知客寮(しかりょう)、棟札(むなふだ)1枚
令和7年2月28日付けで新たに1件が太宰府市の有形文化財(建造物)に指定されました。これにより市指定文化財は合計37件となっています。
光明寺は太宰府天満宮の南に隣接する、鎌倉時代創建の禅宗寺院です。県指定名勝の庭園が有名で、春の新緑と秋の紅葉の季節には色鮮やかなもみじで彩られます。
今回、指定されたのは境内の中心に位置する本堂です。方丈型(ほうじょうがた)と呼ばれる禅宗寺院にみられる建築で、本堂・客殿・住職居室を兼ねた造りとなります。六間取りという、本尊がある内陣(ないじん)を囲うように六部屋に間仕切りすることができる空間が広がります。その周囲に通路を付け、本堂の西側には後年に増改築された大方玄関(現在の出入口)と知客寮(客人を接待する寮舎)が並びます。外観は入母屋造(いりもやづくり)の本瓦(ほんかわら)葺(ぶ)きで周囲を銅板(どうばん)葺(ぶ)きの下屋(げや)が廻ります。
光明寺に伝わる棟札には、本堂の建築から改修に至る記録が記されています。現在の本堂は安政(あんせい)3年(1856)7月に大工棟梁吉田杢十郎矩利(よしだもくじゅうろうのりとし)の指揮のもと再建しました。再建にあたっては、太宰府天満宮が材木を寄附したこと、檜(ひのき)柱は紀伊(きい)(和歌山県)から準備されたこと、礎石は桜馬場と連歌屋で準備したことが記され、多くの人々の協力があったことが分かります。
建築当時は大方玄関や知客寮、下屋はありませんでしたが、その後明治・大正・昭和にかけて修繕が重ねられ大方玄関や知客寮が完成し、昭和47年に下屋が整えられ、現在の姿となりました。
光明寺本堂は、建築年代が安政3年と明らかであることと、建築以降、数度の改修を経ているものの、柱梁等の主要な構造材と室内意匠に建築当初の部材と姿をよく留めている点が評価され、江戸期の建築が少ない太宰府天満宮門前にあって、市内で唯一の江戸期の方丈建築として貴重なものとして指定に至りました。
現在、光明寺本堂と庭園は拝観を中止していますが、本堂正面の前庭も名勝の一部です。光明寺を訪れる際は、門をくぐり、大方玄関の手前から、本堂外観と前庭の様子をご覧ください。
文化財課 木村(きむら)純也(じゅんや)
