文化 太宰府の文華~公文書館だより(130)~

■学問の神さまページ
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受験シーズン到来です。太宰府天満宮の境内には、合格祈願の絵馬が数多く奉納され、受験生らしき姿が目立ちます。おなじみの光景ですが、古い新聞記事を調べてみると、受験生たちが天満宮へ押し寄せるようになったのは、昭和30年代末のようです。それまで2月の天満宮に関する記事は梅見の話題がほとんどでしたが、昭和32年2月に「太宰府天満宮の受験シーズン」という記事が出現します。そして、昭和37年以降は受験生でにぎわう天満宮の記事が毎年掲載されるようになります。当時、国内は高度成長期。高校や大学への進学率が急速に高まり、その競争の激しさは「受験戦争」や「試験地獄」とも称されました。受験生たちが「学問の神さま」の助けを借りたいと思ったのも当然といえます。
その学問の神・菅原道真(すがわらのみちざね)は、死後、天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)として神格化されます。平安時代中期ごろから、和歌、漢詩、書に優れていた道真の才能を慕い、その加護を得て詩文の向上を願う人たちが、天満天神を「文道大祖風月本主(ぶんどうのたいそふうげつのほんしゅ)」、つまり文道の神として崇めるようになります。鎌倉時代以降、天神講や天神縁起などを通じて天神信仰はさらに普及します。江戸時代になると、寺子屋を中心に庶民の間でも天神信仰が盛んになります。寺子屋では天神画像を掲げ、天神経を唱えるなどして、学業の上達を祈りました。芝居小屋でも、近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)作『天神記』や、「寺子屋の段」で有名な『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』などの浄瑠璃・歌舞伎が人気を博し、こうした娯楽を通じて「学問の神」としての天神さまが浸透していったと考えられます。
ところで、学問の神・菅原道真も受験を経験していることをご存じでしょうか。18歳の時に文章生試(もんじょうしょうし)を、26歳の時には「対策」という官吏登用試験を受験し合格しています。「対策」の前は、私生活の時間を減らし猛烈に勉強したといいます。受験の先輩と考えると、学問の神さまが急に身近に感じられるので不思議です。

太宰府市公文書館
荻野 寛美(おぎの ひろみ)