- 発行日 :
- 自治体名 : 福岡県太宰府市
- 広報紙名 : 広報だざいふ 令和7年6月1日号
■井戸(いど)の祭祀(さいし)に伴う壺(つぼ)
大宰府条坊跡第356次調査(朱雀4丁目)出土 奈良時代
令和6年度に実施した榎社から道路を挟んだ東側での発掘調査で、掘立柱建物や小穴、井戸など、奈良時代の生活跡が見つかりました。このうち、井戸からは完形の壺が出土しました。この壺は形の特徴から短頸壺(たんけいこ)と呼ばれています。今回はこの井戸と短頸壺の関係をみていきたいと思います。
井戸の深さは約2m。井戸枠は南北1m、東西0.8mの長方形です。底面は水気を含み、井戸枠材が一部残っている状態でした。この井戸の底部の近くで短頸壺は見つかっています。
短頸壺の出土状況には気になる点がいくつかあります。(1)出土する土器はすべて破片であるのに短頸壺のみ完形で見つかったこと。(2)石が短頸壺と密着して見つかったこと。(3)短頸壺はほぼ水平を保ったまま井戸枠の隅で見つかったこと。(4)粘質土が厚く堆積する土中で短頸壺が見つかったこと。
以上を踏まえると、短頸壺は投げ入れたというよりも、人の手で丁寧に置かれ、井戸の廃絶に伴って一気に土を入れて埋められたと考えられます。
井戸の中に意図して土器を入れる行為は何を意味するのでしょうか。日本各地では井戸の廃絶に伴って土器を埋める行為がしばしば見られます。古くは弥生時代、中世以降も例は少なくなりますが続きます。古代以降には大石を入れることで井戸が使えない状況を示すこと、中世には「息抜き」として竹筒を差し込むことなどが行われました。これは水神・神霊が宿るとされる井戸に対して感謝の気持ちと畏怖の念から祭祀として土器の埋納をしていたと考えられています。
今回の調査での短頸壺の出土は、古代大宰府の井戸の祭祀を考えるうえで貴重な例と言えます。
文化財課
中村(なかむら)茂央(しげお)
■太宰府市民遺産 「太宰府における時の記念日の行事」開催
日時:6月10日(火) 午前6時10分〜
場所:大宰府政庁跡
主催:辰山会
※「太宰府市景観・市民遺産会議HP」の二次元コードは本紙裏表紙をご覧ください。