- 発行日 :
- 自治体名 : 福岡県宮若市
- 広報紙名 : 広報みやわか「宮若生活」 No.239 2025年12月号
◇あの時の思いが、こんなに長く受け継がれるなんて
・第一回大会を走った青年の記憶
「スポーツが地域を元気にする」。小田さんは、当時この考えが多くの人に共有されていたと語る。大会当日、沿道に並んだ人々は、まだ豊かさとは程遠い生活のなかでも、笑顔で選手を励まし、声を張り上げて応援した。小田さんはその光景を振り返り、「沿道の応援を受けたとき、地域が復興へ向けて確かな一歩を踏み出したことを肌で感じたんです」と、言葉をしみじみと紡ぐ。
また、第一回大会のあとには、「来年は私たちも参加したい」「次も走りたい」という声が地域のあちこちから上がったという。走ることを通じて地域が一つになったという手応えが、多くの人の心に火をつけたのだ。小田さんは「大会を見た人が、次は自分もと声を上げてくれたのが嬉しかった」と振り返る。その反応は、戦後の重い空気の中に芽生えた新しい活気の象徴でもあり、小さな火種が広がるように、励まし合いや刺激が地域全体へ伝わっていった。その広がりが、伝統へと変わり現代まで引き継がれていくことになる。
・終わりが示すものと次の世代へのメッセージ
直鞍一周駅伝競走大会は、創設後、時代の変化に合わせて姿を変えながら続いた。昭和23年には高校の部が、昭和30年には中学生の部が設けられ、多世代にわたる大会へと発展していった。道路事情や地域の構造も変わり、コースは何度か調整されたものの、駅伝が地域に根差した存在であることは変わらなかった。
平成18年の宮田町・若宮町の合併により主催体制は再編され、二市一郡(二町)での輪番制が続いた。多くの地域行事が縮小される時代にありながら、この大会は八十回という節目まで続き、地域の冬の風物詩として親しまれてきた。
だが、今回の八十回大会をもって長い歴史に幕を閉じることとなる。少子化により参加者が減少し、運営面の負担も大きくなったことが背景にある。しかし小田さんは、終わりを嘆くだけではなかった。
「寂しいですよ。でも、八十年も続いたんだと思うとうれしい気持ちもあるんです。あの時の思いが、こんなに長く受け継がれたんですから」。
走ることを通じて学んだことを、次の世代に伝えるなら。そう問われると、小田さんは、「体を動かすことは良いことだと思った。体が元気だと心も元気になります。私が証拠ですよ」と、笑った。自身が長寿で元気に過ごしているのも、若いころから体を動かしてきたおかげだという。
この駅伝は終わるが、八十年の歴史のなかで育まれた『地域をつなぐ心』は、今後も受け継がれていくだろう。沿道に立って声援を送る人々の姿、寒空の下で懸命に走る選手の姿。そのどれもが地域の記憶として残り、未来を支える力となるはずだ。
小田さんが第一回大会を走ったあの日から、時代は大きく変わった。それでも、人と人を結びつけ、地域を元気にする『駅伝のもつ力』は少しも変わっていない。八十年の軌跡は、戦後の復興とともに地域が歩んできた道そのものであり、これからの世代を照らす灯火でもある。
◇戦後80年、私たちは何を学ぶべきか 兵士・庶民の戦争資料館
小竹町にある 兵士・庶民の戦争資料館は、戦争の現実と日常を伝える私設博物館です。
展示資料は約3,000点、鉄帽・軍服・銃や防毒マスク、従軍絵日記、寄せ書き、追悼文集などが並び、庶民や兵士双方の視点から戦中の暮らしが浮かび上がります。展示物は来館者が実際に手に取って触れられるものばかりで、実際にモノに触れることで、より実感をもって戦争に思いをはせてほしいとの思いが込められています。疎開児童への家族の手紙など、民間の視点からの記録も大切に保管・展示されており、来館者に『戦争を二度と繰り返さない』思いを静かに問いかける場となっています。
開館時間:午後1時30分から5時まで(要予約)
場所:小竹町御徳415番地7
予約・問い合わせ:兵士・庶民の戦争資料館
【電話】62・8565
◇この記憶を、あなたへ 広報みやわか「宮若生活」令和7年8月号
戦後80年を迎える今、私たちは戦争の記憶をどのように未来へつないでいけばよいのでしょうか。
本号の特別企画では、市内在住の野見山正さんに、戦争の記憶を語っていただきました。
正さんが当時11歳の時に見送った父親・大作さんは、陸軍輸送船「馬来(マレー)丸」に乗船していました。しかしこの船は後に魚雷攻撃により沈没。約1,500人の命が失われるという悲劇に見舞われました。「風化させてはいけない」との強い思いが込められた、重く、そして大切な記憶の証言をぜひお読みください。
下記2次元コード(本紙参照)を読み込むと、記事を読むことができます。
