宮若市(福岡県)

新着広報記事
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文化
〔戦後八十年 特別企画〕この記憶を、あなたへ。(1) 「鹿児島県・久志湾の沖。 陸軍輸送船『馬来(マレー)丸』が魚雷により沈没し、 約千五百人の命が奪われたその海に、父はいたのです。」 そう話すのは、宮若市に暮らす野見山 正(のみやま ただし)さん、九十二歳。 十一歳のとき、出征する父・大作さんを見送りました。 大作さんの戦死公報が届いたのは、終戦の二年後。 詳しい死の場所も状況も分からぬまま、家族は長い戦後を生き続けてきました。 「戦争が終わったか...
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文化
〔戦後八十年 特別企画〕この記憶を、あなたへ。(2) 馬来丸は兵員千九百三十九人、軍馬百十三頭、自動貸車(じどうかしゃ)二十三輛(りょう)、大発(だいはつ)四隻(せき)、ゴム船艇(せんてい)六隻その他軍需用品を乗せ、昭和20年1月23日、午前5時、フィリピンに向け門司港を出発し、伊万里湾(佐賀県)に仮泊。翌日、24日に相崎瀬戸(長崎県)を通過し、鹿児島に向かいました。25日午後1時50分、見張員が突然「雷跡」と、絶叫すると同時に、右船端(ふなばた)に...
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文化
〔戦後八十年 特別企画〕この記憶を、あなたへ。(3) ◆Part.3 あの日を生き延びた兵員の手記 馬来丸からの“生存者の記憶”。 海面に顔を出すまで一滴の海水も飲まず、九死に一生を得た体験。 海に沈んでいく馬来丸の最後の姿。 そして、同じ釜の飯を食べた仲間たちの無念。 「今も涙が止まらない」と語るその手記には、戦争の悲惨さと、親への思い、仲間への鎮魂、そして生き残った者としての祈りが刻まれています。 この手記で語られる、兵士というよりも、息子であり...
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文化
〔戦後八十年 特別企画〕この記憶を、あなたへ。(4) ◆編集を終えて 今回の特集では、野見山さんの証言を軸に、戦争の記憶をたどりました。馬来丸の沈没という事実、そしてその影にあった、残された家族の物語に触れながら、戦争がいかに暮らしに大きな影響を与えたのか、改めて感じさせられる取材となりました。 正さんの「泣く暇なんてなかった」という言葉には、当時の現実が凝縮されているように感じました。父を見送り、母を亡くし、学校に通うことを諦めて働きに出る。11歳...
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くらし
Miyawaka Watching 広報担当がどこにでも取材に行きます! どこかにあなたの知っている人がいるかもしれない まちの話題やイベントを紹介するこのページの名は…Miyawaka Watching ◆誰もが自分らしく生きられる社会へ ◇男女共同参画週間講演会 6月26日、若宮コミュニティセンター「ハートフル」でGIDLink代表の椎太信さんによる男女共同参画週間講演会を行いました。 『多様な性〜性別不合・性別違和について〜』...
広報紙バックナンバー
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広報みやわか「宮若生活」 No.235 2025年8月号
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広報みやわか「宮若生活」 No.234 2025年7月号
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広報みやわか「宮若生活」 No.233 2025年6月号
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広報みやわか「宮若生活」 No.232 2025年5月号
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広報みやわか「宮若生活」 No.231 2025年4月号
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広報みやわか「宮若生活」 No.230 2025年3月号
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広報みやわか「宮若生活」 No.229 2025年2月号
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広報みやわか「宮若生活」 No.228 2025年1月号
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広報みやわか「宮若生活」 No.227 2024年12月号
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広報みやわか「宮若生活」 No.226 2024年11月号
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広報みやわか「宮若生活」 No.225 2024年10月号
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広報みやわか「宮若生活」 No.224 2024年9月号
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広報みやわか「宮若生活」 No.223 2024年8月号
自治体データ
- HP
- 福岡県宮若市ホームページ
- 住所
- 宮若市宮田29-1
- 電話
- 0949-32-0510
- 首長
- 塩川 秀敏