その他 編集後記

大戦末期の昭和20年8月7日11時過ぎ。赤村は峰岡から丸熊にかけ米軍機6機による爆撃を受け、5歳の少女を含む5人の命が奪われました。歴史書「赤村史」記載の当時の「赤国民学校」教頭による回顧録では、爆弾の破片が飛び交いズタズタになった当時の教室の様子がつづられています。今年は戦後80年。旧上赤分校では爆弾の破片でえぐられた跡が残る柱が現在も残されており、凄惨な記憶を今に伝えています。(森)