くらし 町長室だより

築上町長 新川 久三

令和7年も早や折り返しの月となり、田んぼが見る見るうちに緑一面に変わってきます。また蛍の季節ともなりました。

■梅雨以降に備えての防災対策
役場職員の異動で防災体制に変更を生じ、先月1日に令和7年度の築上町防災班長・副班長会議を行い、気象庁大雨警報等発令後の対応を確認しました。
5月15日には福岡管区気象台緊急時ホットライン訓練を行い、万一に備えました。
5月26日には国土交通省の北九州国道事務所をはじめ、京築管内の県組織、築城基地、京築広域圏消防本部、豊前警察署と町内の各種団体とで築上町地域防災会議を開催して災害発生時の各々の役割を確認することにしています。
町内の各自治会は自主防災組織を立上げ、消防団と共に避難の手伝いや見回りをしていただくことになっています。自主防災組織がない自治会は是非とも組織設立をお願いします。

■町ゆかりの歴史上の偉人たち
神話の時代からの伝承で第12代景行天皇は九州遠征をしたときに今もそびえ立つ本庄の大楠を植えたとされています。景行天皇の子供は熊襲(くまそ)退治で有名な悲運の王子日本武尊(やまとたけるのみこと)です。日本武尊の子が仲哀天皇で、神功皇后の間に生まれたのが応神天皇です。この世代は京築地方に縁が深く、行橋市の長挟県に仮の王宮があったと言われています。地名に仲哀峠、神籠石等の地名史跡もあります。
次に、菅原道真公が901年に浜宮海岸に漂着して、地元の村人2人が道真公を助け、もてなしをして道真公から「有令家門」の字を授けられ「有門」と「家令」と名乗ったという逸話があります。
道真公は最後の遣唐使として派遣されましたが、唐の衰退ぶりをみて遣唐使廃止論を提唱しました。そのため、左大臣藤原時平によって右大臣職から外され、太宰府へ左遷されました。
次に400年続いた宇都宮氏の歴史ですが、初代信房公はみやこ町の木井に居を定めていましたが、5代目頼房公が本町の本庄に居を定め、以来、鎮房公まで豊前の旗頭として治めてきました。宇都宮鎮房公は黒田官兵衛・長政親子に謀殺され、この命日が旧暦の4月20日(新暦5月17日)にあたり中津の城井神社において有志の方々で偲ぶ会が催されています。
最後に築城郡筋奉行延塚卯右衛門は天保の大飢饉のとき、藩に借用の根付料の返済猶予を嘆願したが認められず、奉行独断で根付料返済免除の触れを出し、農民の苦境を助け自らは藩への不忠の責任を負い切腹したのが天保7(1836)年12月1日でした。奉行の遺徳を偲んで、町民に100円募金を募り、延塚卯右衛門奉行顕彰会主催で12月の第一日曜に武道大会と供養祭を行っています。
町民の皆さんには歴史上4人のことは子供や孫に伝承していただきたくお願いします。

日増しに高温向暑になりますが町民の皆さんにはご自愛いただきながら健康対策をお願いします。