くらし 輝く島原人 特別版
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- 発行日 :
- 自治体名 : 長崎県島原市
- 広報紙名 : 広報しまばら 令和7年10月号
■ヤマに負けるな。平成島原大変市長の覚悟と決断
故 鐘ケ江管一(かねがえかんいち)氏(享年94)
島原市長として昭和55年12月から平成4年12月まで、3期12年の永きにわたり市政の発展に尽力。特に平成2年から続いた雲仙・普賢岳噴火災害では、市長として市民の生命と安全確保、被災者の生活支援、復興対策のため陣頭指揮にあたり、復興への礎を築いた。
市長退任後は、災害支援へのお礼と災害から得た教訓、継承活動として全国各地で防災講演を精力的に行い、その回数は千回超に及んだ。勲四等瑞宝章(H13)、長崎県知事表彰(H9、H11)、島原半島文化賞(R3)、ほか。
◇未曾有の雲仙・普賢岳噴火災害市民の命を守る、限りない復興への思い
元島原市長鐘ケ江管一様が8月22日にご逝去されました。在任中、平成2年から続いた雲仙・普賢岳噴火災害という未曽有の危機に直面し、市長として常に先頭に立ち、住民の生命と生活を守るため献身的に尽力され、その功績は復興を遂げた今日の島原市の発展へとつながっています。
国内で前例のない居住地域における警戒区域の設定をはじめ、昼夜を分かたず市民の安全確保に奔走し、被災者の生活支援や、国や県と連携した避難体制の整備、復興計画の策定など、困難を極める決断を重ねてこられました。これらの功績は、その後の国内で発生した大規模災害における被災者支援の礎となっています。
生前、6月3日の「いのりの日」では「この災害を風化させてはいけない。これだけの犠牲者が出て、ここまで復興してきたこと、それを忘れてはいかんと思う。語り継いでいかなければならない。」と語っておられました。
この災害で得た教訓を忘れることなく、鐘ケ江様のふるさと島原復興へのご尽力に感謝し、心からご冥福をお祈りいたします。
◇国内初の警戒区域設定
平成3年6月3日、43名が尊い犠牲となった大火砕流の後、6月7日、災害対策基本法に基づく警戒区域を設定。居住地域における設定は前例がなく、国内初の決定となった。立ち入り制限を伴うため、住民生活を考えると苦渋の判断であったが、当時の故高田勇長崎県知事の説得により決断された。
この決断が功を奏し、設定翌日に再び発生した大火砕流では、家屋など175棟が焼失したが人的被害は出なかった。
◇「島原方式」の確立
雲仙・普賢岳噴火災害では、長崎県知事をトップに、地元自治体、国、自衛隊、警察、消防、火山の研究機関が結集し、連携や信頼関係を構築しながら調整会議を行い、災害対策基本法に基づく市災害対策本部の決定を行う方式が確立された。
刻々と状況が変化し、迅速な判断が求められる火山災害においては地元自治体のみでの対応は困難なため、関係機関が密に連携して災害対応にあたることの重要性が認識された。この「島原方式」は後の有珠山(北海道)、岩手山(岩手県)でも取り入れられた。
また、自然災害におけるボランティアの受け入れ態勢や救援物資を種類別に仕分けて被災地に送る仕組みなども「島原方式」として広く知られるようになった。
