文化 知ろう!文化財vol.2江戸時代の道

地元住民に大切に守られ、今も当時の姿を残す石畳道(指定文化財)をご紹介します

江戸時代、日田は幕府の直轄地(天領)として九州各地の天領支配の拠点となり、豆田町や隈町には多くの商人が集まるようになりました。
なかでも、醤油や酒造りなどの醸造業や精蝋(せいろう)業、金融業などを営んでいた豪商は、代官所の年貢収納を担うことから「掛屋(かけや)」と呼ばれ、莫大な利益を上げました。この掛屋をはじめとした日田の人たちは、商業発展のため、山間部の新道や橋の建設に尽力。永山布政所(ふせいしょ)の代官も交通網の整備を命じ、当時、各地へ向かう6本の街道(日田街道)が結ばれました。利便性の向上によって人の往来が活発となり、日田は大いに繁栄しました。
こうした発展の礎となった石畳道(いしだたみみち)や石橋、隧道(ずいどう)(トンネル)などは、現在もなお、各所にその名残を留めています。

■日田を中心とした江戸時代の陸上交通路
(1)宇佐・中津方面豊前国宇佐宮路(ぐうじ)・中津城路(じょうじ)石坂石畳道/県指定史跡
(2)彦山・小倉方面彦山路(ひこさんじ)・小倉城路岳滅鬼(がくめき)新道
(3)筑前・福岡方面筑前国路・福岡城路小月(おづき)橋
(4)筑後・久留米方面筑後国高良山路(こうらさんじ)・久留米城路加々鶴(かがづる)新道、筏場(いかだば)目鏡橋
(5)肥後・阿蘇熊本、竹田方面肥後国阿蘇山路隈府路(わいふじ)、熊本城路直入郡岡(なおいりぐんおか)城路台(だい)神社前旧往還(おうかん)石畳道/市指定史跡、曽田(そた)の台(だい)石畳道
(6)玖珠方面玖珠郡森営路(もりえいじ)川原隧道(かわばるずいどう)と石畳/県指定史跡

■今なお残る石畳道(いしだたみみち)
訪れる際は、滑りやすい場所や車両が通行する場所もありますので、十分にご注意ください。

▼石坂石畳道(伏木町・市ノ瀬町)伏木公園約10分
大分県指定史跡(昭和62年3月27日指定)
伏木公園約10分
日田代官所と中津・宇佐四日市を結ぶ道路の一部で、全長は約1.26km。市ノ瀬町から伏木町まで、高低差約200mの山中に通じています。
約2.2mの道幅に隙間なく石が詰めらており、中央部は2~3mおきに段が設けられ、歩きやすい緩やかな勾配。外側の丸石には、牛や馬が足の爪をかける工夫がされるなど、技術の高さがうかがえます。
嘉永3(1850)年に完成したこの道は、隈町の掛屋・京屋山田常良(つねよし)が周防(すおう)(現在の山口県)の石工(いしく)を招いて工事されました。
現在は、地元住民による「日田往還石坂石畳道ウォーキング大会」をはじめ、石畳道の価値を伝える講演会や清掃活動など、積極的な保存・継承活動が行われています。

▽見どころ1
石畳道の中間付近にあり!工事の詳細な経緯が廣瀬淡窓によって記された「石阪修治碑(しゅうじひ)」

▼川原隧道(かわばるずいどう)と石畳(天瀬町女子畑)
大分県指定史跡(昭和51年3月31日指定)
川原バス停約20分
日田代官所と玖珠を結ぶ道路の一部で、西国筋郡代・塩谷大四郎(しおのやだいしろう)の命令で造られた長さ約48mの隧道と、隧道に繋がる石畳道。
隧道内部は天井が崩れにくいように、長さ1.6mの石材を「ハ」の字に組み合わせて補強するという、高い技法で造られました。
隧道入口の石柱には、嘉永7(1854)年8月に廣瀬久兵衛(きゅうべえ)が石材を寄付したこと、中国地方の石工・助二郎の名前が刻まれています。(熊本地震で一部が崩れたため、現在は立入禁止)

▽見どころ2
「土木遺産」に認定されるほどの“当時の技術力”

▼台(だい)神社前旧往還(おうかん)石畳道(天瀬町女子畑)
日田市指定史跡(平成28年3月25日指定)
旧台小学校約5分
日田代官所と竹田・熊本方面を結ぶ道路の一部で、西国筋郡代・羽倉権九郎(はくらごんくろう)の時代に女子畑から出口まで整備されたといわれています。現存する石畳道の全長は約41mで、地元住民の生活道路として利用されています。

▽見どころ3
台神社の森が醸し出す静かな雰囲気と、歴史的な趣を感じる石畳道

問合せ:文化財課文化財管理係
【電話】24-7171(市役所別館2階)