- 発行日 :
- 自治体名 : 大分県竹田市
- 広報紙名 : 広報たけた 2025年6月 NO.243
戦後80年となった今年の5月5日も、明治地区折立に建つ「殉空之碑」の前で追悼法要が行われました。
父である故工藤文夫(くどうふみお)さんの遺志を継ぐ工藤勝昭(くどうかつあき)さんや、明治地区の地域運営組織「コミュニティひろばi-meiji」が主体となる「殉空の碑追悼法要実行委員会」が主催となり、県内外から約50人が参列しました。
当日は、参列した皆さんで黙とうをささげたのち、追悼法要が行われました。
勝昭さんは、「80年という間、戦争がなかったから、日本が巻き込まれなかったから今の日本であると思います。若い人が亡くなり、残ったものが悲惨な目にあう戦争を絶対にしてはなりません」とあいさつ。また、同会の後藤英一(ごとうえいいち)会長は、「今年は80年の節目を迎え、戦争のない平和な世界を目指す重要な時期だと思っております。このようなことがないように祈ります」とあいさつを述べました。
▽「殉空之碑」建立から48年
現在、「コミュニティひろばi-meiji」が中心となり、地元の歴史を伝える会「星ボタル」の皆さんや地元有志の方のボランティアで清掃活動などが行われ、途絶えることなく法要が続いています。また、戦後80年を経て、さまざまな人の記憶を呼び起こし、平和を振り返る機会となっています。
この地から、世界の恒久平和が広がっていくことを願っています。
▽宮城地区にある「鎮魂碑」
宮城地区の久保には、故粕谷少年兵の鎮魂碑があります。昭和55年3月、地元の「久保帰還兵の会」などの有志によって建立されました。
その後、戦争捕虜研究会のご協力、地元関係者や有志の方々で調査が行われ、令和元年5月5日に物的証拠となる紫電改の残骸とともに碑文が建立されています。
▽「殉空之碑」建立について
終戦直前の昭和20(1945)年5月5日、熊本県南小国町付近の上空でアメリカのB29爆撃機と日本軍の戦闘機「紫電改」の空中戦が繰り広げられました。1機の紫電改は体当たりを敢行し、機体は宮城地区久保に墜落。一方、B29の機体は、明治地区折立の山中にある畑に墜落しました。アメリカ兵士11名は落下傘で脱出しましたが、墜落死したり、住民にその場で殺された兵士もいました。マービン・ワトキンス機長以外の残りの兵士は捕らえられたあと、福岡に送られ、九州大学で生体実験をされて、命を亡くしました。
その後、B29が墜落した土地の所有者・故工藤文夫さんのもとに、生体実験時に医学生として立ち会った故東野利夫(とうのとしお)さんが取材に訪れました。「亡くなった日米兵士のために追悼をしたい」という東野さんの思いを受け、工藤さんは「敵も味方もなく、アメリカ兵も日本兵も区別なく同じように供養しよう」と、昭和52年、地元有志と共に「殉空之碑」を建立しました。石碑には、紫電改に搭乗し、体当たりして亡くなった日本軍の粕谷欣三海軍一等飛行兵曹(当時19歳)と、アメリカ兵11名の名前が刻まれています。