- 発行日 :
- 自治体名 : 鹿児島県いちき串木野市
- 広報紙名 : 広報いちき串木野 令和7年5月20日号(第235号)
■「世界の物流を制した、英国PandO社」
今から160年前、長崎のトーマス・グラバーが手配したオースタライエン号が羽島沖に現れ、乗船した留学生たちは最初の寄港地、香港を目指します。その後、香港からボンベイまではマドラス号、ボンベイからスエズまではべナールス号、スエズから列車で地中海側の港町アレクサンドリアに向かい、最後のデリー号に乗って英国南部の港町、サウサンプトンに到着します。彼らは合計4隻乗船しますが、香港から利用した蒸気船3隻はすべてPandO(The Peninsular and Oriental Steam Navigation Co.)社の船でした。
1837年、英国が国家・外交機密情報(書簡) を運ぶために国策の郵船会社として設立されたPandO社は、本国からジブラルタル、そして地中海航路、紅海を経てカルカッタ、シンガポール、香港、上海、日本を結び、東アジアから英国までの貿易・海運部門を独占し、巨万の富を築いた海運会社です。当時英国政府は、PandO社を介して、反幕府勢力であった薩摩や長州に武器を売り込み、その後討幕を成し遂げた新政府の中心が薩摩や長州であったため、日本から欧州に向けての物流はPandO社を含めた英国船社が中心だったのです。海外取引や海外輸送を優位に進め、世界の物流を制していたPandO社の存在は、日本にとって脅威であると同時に、国益を生むうえで海運業(物流)が如何に重要であるかを知ることになります。
薩摩藩英国留学生記念館スタッフ 畠中敬子
参考文献:『幕末外交と開国』加藤祐三著
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